松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

津和野を有名にしたのは何?!

2017年06月26日 15:39   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
6月18日(日) 快晴。午前9時30分 JR津和野駅前から津和野観光は出発です。観光協会の方から一言アドバイスがありました。「本町の源氏巻きの製造販売のお店で源氏巻きの耳が無料でもらえるかもしれませんよ。」。頭の隅においてまずは、明治初期に描かれた「津和野百景図」で街全体を把握します。百年以上経過していても当時の街なみや町名はそれほど変わっていないとの事です。
まずは、観光ガイドさんより町の歴史の講話からです。
そもそも津和野という地名は、「つわぶきの生い茂る野」からきたといわれています。「つわぶき」って何?説明を聞いている仲間は知っている様子ですが、ここで少し解説をします。つやのある大きな葉を持っており、毎年秋から冬に、キクに似た黄色い花をまとめて咲かせる。そのため「石蕗の花(つわのはな)」は、日本では初冬(立冬〔11月8日ごろ〕から大雪の前日〔12月7日〕ごろまで)の季語となっている。との事ですが、今ひとつピンときません。津和野城が蕗城(ふきじょう)と呼ばれるのと同様に、山間の町にふさわしい名前だそうです。
津和野城の築城は、二度目の蒙古来襲(弘安の役)の後に、能登国から西石見の沿岸防備のために入部した吉見頼行により、永仁三年(1295)に始められたと伝えられ、以後吉見氏14代が、320年間の長きに渡り居城としました。 室町期、山口に本拠を置く大内氏の台頭により、吉見氏はその傘下に入りますが、その後、毛利家が中国地方全域に勢力を伸ばすとそれに従います。
初期の城下町は吉見氏によって築かれたといわれますが、今日の津和野の礎を築いたのは、関ケ原の戦いの後、吉見氏に代わり津和野城主となった坂崎出羽守直盛でした。 坂崎氏は、宇喜多氏の一族であり、城主だった16年の短期間に、津和野城の大改築、城下町の骨格づくり、新田開発、和紙の原料である楮苗の栽培、灌漑用水路の建設、鯉の養殖など、今日の津和野の礎を築いたのでした。
坂崎氏が「千姫事件」で失脚すると、元和(1617)年に因幡国鹿野城主だった亀井政矩が、4万3千石の藩主として入部します。ここからはかつて、島根県選挙区から選出の参議院議員の亀井氏の登場です。 以後、歴代藩主は産業開発と教育の振興に力を注ぎ、一時は実録15万石といわれるほど華栄しました。産業の中心は和紙生産でした。製紙原料の楮の増産を図り、製紙技術をひろく領内に普及し、この和紙を藩の専売制として莫大な収入を得ました。この和紙でつくられた「姉様人形」がお土産で有名ですね。4万3千石が15万石だなんて3倍以上ですから経済的には裕福だったのですね。
また、藩校「養老館」の創設など、歴代藩主の人材育成重視の施策が、幕末から明治、大正期にかけて活躍した日本を代表する人物たち、国学者福羽美静、近代日本の哲学者西周、文豪森鴎外などの輩出につながります。
旧城下町は津和野川を外堀として南北に細長く造られています。 一部、川の東側に広がる武家屋敷地区には、津和野川から水を引いた外堀が整備されていたらしく、今では埋め立てられて、旧山陰道が拡幅されています。現地にある不釣合いなほど広い道路はその名残だと思います。
通常、城下町は中心部から外縁にむかい、城郭-武家屋敷-町屋の順に配置され、町屋地区の街道筋が通っているものですが、津和野はこれに当てはまりません。狭い盆地の城下町ならではの配置だと思います。 また、武家屋敷町の配置としては、北が上級武士、南が下級武士の屋敷町で、堀割りのある殿町は家老屋敷があり、上級武家屋敷町が町屋地区と隣接していることも珍しいことです。
概略がわかったところでいざ、街中に移動です。
津和野観光のメインは何といっても殿町の景観と錦鯉です。菖蒲が咲き、清水の流れる掘割には鯉が泳ぎ、白漆喰と海鼠壁の土塀と立派な屋敷門の形成する景観は、誰でもが美しいと感じます。街の中心部なのに、車の通りが少ないです。国道9号線が街中を通っていませんので、通過する車はないようです。
。町の町並みは、旧家老多胡家の屋敷門・土塀沿いに流れる堀割・屋敷門の奥にある町役場(旧鹿足郡役場)城下町にしては広い道路と掘割の水は、防火のためだといわれていますが、流れる水はどこから流れてくるのでしょうか。
何故、鯉を放すようになったかですが、城下は再々火事にみわわれたそうです。一度、出荷すると山口側から増田に向けて強い風によってみるみるうちに炎症したという事です。もともとは防火用水だったのです。街中で水が淀むとボウフラなどが湧くので鯉に食べさせるというのです。もう一ついい事はいざという時の食用としたようですが、普段は鯉を盗むと厳罰になったそうです。この事から町民は鯉を食べる習慣がないそうで、また、愛護の精神の教育にもなっているとか・・・。
城下町の水は盆地なのにどこから引かれているのでしょうか?
津和野川の川床は町の地盤よりかなり低いので、当然上流から引いてくることになります。現在は、旧藩主邸(現津和野高校グランド)横でポンプで川から汲み上げているようですが、往時はもっと上流から引いてきたのだと思います。
殿町の北側に広がるのが町屋地区です。2階の窓には雨戸が3重になっていて、しかも横にスライドするのではなくて、上にずり上げて収納するのも驚きでした。今も残る商家は、どれも切り妻平入りの中二階建又は二階建で、石州瓦(桟瓦)の赤瓦葺、二階は白漆喰の袖壁があり、虫籠窓か格子窓が一般的のようです。なんといっても この景観が、最も津和野らしく、最も美しい。です
それと、殿町と本町の境目に江戸時代には城と町屋は大きな門で区切られていたとか。一般的には、外堀があり、きちんとわかりますが、門がない現在ではチョットだけ面影がのこるだけです。
 ここを訪れる観光客は、みんな決まって清流を泳ぐ鯉と菖蒲を写していました。
目を引くのが、木造3階建てです。「骨董古布」の暖簾のかかる土産屋のようですが、変わった構造をしています。
まだまだ、観光は続きますがこのあたりで街並み散策は終わりたいと思います。
「最後に、「鯉の米屋」さんを紹介しておきます。
昔ながらの米俵を軒に列ね、木彫りの「鯉のおる米屋」という看板が目印です。ここの店の奥には、水路を引き込んだおおきな池があり、色とりどりの錦鯉が群れをなして泳いでいます。餌をまくとその姿は圧巻。かつては津和野の家々にはこのような鯉を飼う池があり、観賞用として愛でていたようで、とくにこの吉永邸の鯉は、質・量ともに他を圧倒しています。
「店構えはお米屋なので少し戸惑いますが、見学は大丈夫です。御主人。見学は無料で、気さくな御主人や奥さんがやさしく迎え入れてくれますよ。
ご主人は鷺舞保存会の会長だとか?



津和野町の太皷谷稲成神社に参拝して来ました!

2017年06月23日 14:00   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
島根県の最西端の津和野町にある太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)に参拝してきました。この神社は、島根県では出雲大社に次ぐ初詣の人出が多い事でも知られています。日本五大稲荷のひとつ、商売繁盛、開運厄除の神様です。
稲荷ではなく「稲成」と表記しますが、読み方は同じ「いなり」と読みます。稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。
境内からは津和野の町並みが、箱庭のように広がります。それもそのはず、創建当時は、津和野城の鬼門除けとして城を守ってきましたが、江戸時代に落雷で天守が炎上してしまってからは、その役目もそれほど果たす事もなく過ぎ去りました。鬼門除けでしたので津和野城を向いて建てられました。
明治時代に入り、廃藩後一般庶民の崇敬を集めて、次第に信仰圏を広げ、昭和40年~昭和50年にかけては津和野の観光客急増もあって、参拝者はふえました。現在の本殿は鬼門除けではなく津和野の街を向いて建てられています。
戦後に一時衰えたことがあったようですが、今日では開運厄除の守護神として、中国、四国、九州の全域に信者をもつとの事です。とくに2月の初午祭、春秋の例祭には遠近の参詣者で町はふくれあがるほど賑わうそうです。 
拝殿、本殿は昭和44 年(1969)に建て直されました。
境内には郷土関係の資料を集めた宝物殿、椋木潜(むくのきひそむ)、佐伯利麿(さえきとしまろ)、岡熊臣(おかくまおみ)らの和漢蔵書5,000冊を収めた養老文庫、旧御殿の茶室を復元した茶席半峯亭(はんぽうてい)などがあります。
この日は山口線を走るSLのC57(貴婦人)の雄姿は見る事が出来ませんでした。残念でした!7月の夏休み以降には走るそうです。また、この神社のお参りですが、通常では鳥居の左端を通行しますが、神様はこの参道は通られないそうで、真ん中で良いそうですよ。神様は本殿の後ろから出入りされるそうです。

お問合せ先 太皷谷稲成神社
〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
電話:0856(72)0219
アクセス JR山口線津和野駅から徒歩約30分、タクシー約5分
営業時間 <定休日> なし
駐車場 無料 約100台
メールアドレス inari@tsuwano.ne.jp
URL http://taikodani.jp/
ユニバーサル情報 洋式トイレあり  /  車いす対応(多機能)トイレあり   

●日本五大稲荷
伏見稲荷大社  近畿の京都市伏見区
笠間稲荷神社  関東の茨城県笠間市
竹駒神社    東北の宮城県岩沼市
祐徳稲荷神社  九州の佐賀県鹿島市
太皷谷稲成神社 中国の島根県津和野町
※稲荷神社は、伏見稲荷(神道系)と豊川稲荷(仏教系)の系統があります。



災い転じて福となりました?!

2017年06月20日 15:19   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
JR西日本の豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)」の山陰上りコース(下関-大阪駅、1泊2日)の列車が19日午後3時、立ち寄り観光のため出雲市駅北町のJR出雲市駅に停車した。島根県内では初停車で、地元の神楽団員や保育園児ら住民300人が出迎え、乗客が笑顔で応えた。
とのニュースが飛び込んできました。浜田市では列車が海岸線を通過するだけなのに市民で海岸のゴミ拾いなど山陰では歓迎ムードいっぱいです。
さて、国の天然記念物に指定されているコウノトリの誤射が起きた雲南市大東町にある市立西小学校で4年生児童が、コウノトリの生態をテーマに総合学習を始めたそうです。今春、つがいが同町内で巣を作り、ひな4羽の誕生で地域は喜びに包まれました。児童たちも保護者と一緒に優美な姿を観察し、無事巣立つよう願っていただけに、誤射で雌が死に、ひなが兵庫県立コウノトリの郷公園(豊岡市)に移されたショックは大きかったようです。
しかし、この学校の校長が、いつまでも悲しみに浸るのではなく、「不幸な出来事を乗り越え、子どもの心情を育みたい」と学習を始めました。絶滅の恐れのあるコウノトリを通じ、生き物への愛着や、生命の神秘、雲南の里山環境の素晴らしさなど多彩な学習へ道が開ける。
雲南市には現在、6羽のコウノトリが飛来しています。専門家は、保護繁殖活動に取り組む豊岡市以外では「雲南が国内でも有数の生息地」と位置付け、来春以降も、つがいが巣を設けて、ひなの誕生を期待しています。多様な生物がすむ自然を守り、コウノトリと共生する地域づくりは、人も住みよい環境に通じます。古里への愛情と誇りを育む学習が、雲南市内に広がり、次世代のまちづくりを担う人材育成に結実するよう願いたいものです。




松江市では6月4日は「武者の日」です!

2017年06月05日 13:33   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
6月1・2日の突然のゲリラ雷雨と突風で山陰でも屋根瓦が飛ばされたり、強風でJRの列車も一時運転を見合わせたりと被害が出ていますが、皆さまのところでは如何でしたでしょうか?私も特急「やくも」に乗車していましたが、列車が急に止まり、外を見ると雷がの稲妻がすごい勢いで光っていました。約25分後にゆっくりと走りだしましたのでひと安心しましたが、ビックリでした。
さて、6月4日と言えば全国的には「虫歯予防デー」ですね。こちら松江市では、6(む)月4(しゃ)日は、『松江武者の日』なんです。松江市は、昨年、「武者にあえるまち、武者とあそぶまちとしてイベントを開催いたします。」と全国に先駆けて宣言しました。これは、松江観光協会が昨年に引き続き開催したものです。
「武者の日」にちなんで、松江城内では武者に関わる色んなイベントが開催され、歴史好きの人から子どもまで楽しみました。第13代堀尾家/松江武者応援隊/まつえ若武者隊/YORIKI/出雲尼子を興す会の武者達50人が本丸に集結して「松江武者の日」を宣言し、勝ちどきを上げました。また、城内の興雲閣では堀尾吉晴れと尼ごの家臣の山中鹿之助についての歴史トークライブがあり一般には知られていないエピソードに感心しながら聞き入りました。9人の武者が城内に逃げ出して、それを子どもたちが探すというイベントもあり家族連れは大いに盛り上がりました。
恐らくは来年もありそうですので松江に観光の予定のある方は是非、6月4日をお忘れなく!!



雲南市大東町の源氏ホタルはこうして守られています!

2017年05月29日 11:47   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
松江市ではここのところ雨がほとんど降っていませんので、植物は元気がありません。もうすぐ、あじさいの季節になりますが大丈夫なのか心配になります。
あと数日で6月に入り、今年もホタルの季節になりますね。今日は、雲南市大東町のホタルを紹介します。
この地域を走るJR木次線は前身の簸上鉄道(宍道-木次間)が開業後、2016年で100周年を迎えます。
この簸上鉄道の開通当時、乗客を楽しませた観光の目玉が、雲南市大東町の赤川のホタル見物だったそうです。臨時列車を増発し、赤川の鉄橋の上で列車を止め、ホタルが火の玉のように乱舞する姿が人々を魅了しました。
赤川のゲンジボタルが現在も、県内随一の生息地となっている背景には、地元の「赤川ほたる保存会」の貢献が大きいそうです。その一方で、現状のまま手をこまねいていると、保存会の活動が衰退する恐れが生まれています。
赤川では1955年ごろから川の汚れや豪雨災害でホタルが激減しました。事態を憂慮した住民が83年、保存会を結成して旧大東町に要望し、町が大東町ほたる保護条例を制定しホタルと生息地が天然記念物に指定されました。ここでも、その会の存続が高齢化に伴い継続出来るかが問題となっているそうです。ホタルを人口孵化させて放流しているのです。この人口孵化の微妙な飼育方法を伝承出来るのかが最も不安要素だそうです。
見頃となる6月10日、JR木次線の出雲大東駅(雲南市大東町飯田)で、大東ほたる祭りが開かれコンサートなど多彩な催しがあります。祭りを機に地元の若者が保存会の現状を知り、活動を継承してほしいものです。
松江市、安来市にも源氏ホタルの観賞地が数か所ありますが、どこの地区でも住民の貢献によってホタル観賞が出来ているのです。そもそも、自然環境によりもはや生育出来なくなっているようです。いつまでも観賞し続けられるのか心配になりますね。私たちは、感謝しながら観賞する事にしましょう!

以下にバスでのホタル観賞情報を掲載しておきます。
赤川ほたる観バス(雲南市)
毎年運行されるこのバス企画は、幻想的な「赤川ほたるの世界」に加え、奥ゆかしい「海潮神楽」の舞を存分に味わうことができるとして好評です。
日時 2017年6月10日(土)・11日(日)
19:00 JR出雲大東駅発(乗車受付は18:30より)
場所 島根県雲南市大東町 JR出雲大東駅発 
料金 大人(中学生以上)2,000円、 小人(小学生)1,000円  ※未就学児は無料  定員46人/日 ※要予約
問い合わせ 赤川ほたる保存会事務局 つむぎ
0854-43-8650
海潮荘
ホタル鑑賞の名所として知られる海潮温泉の宿。露天風呂でホタルに出会えちゃうかも?