松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

松江藩にも雑賀衆がいた!

2015年02月16日 15:09   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
城下町でありますところの松江市にも戦国時代にその名を轟かせた鉄砲隊の雑賀衆がいました。
雑賀衆と言えば、紀州(和歌山県)ですね。あの織田信長が攻め和え居ていた本願寺に見方した鉄砲隊の集団です。
初代城主の堀尾吉春が松江に入場の時に連れて来たと言う事です。
松江城城下の南の一角に足軽長屋が形成されました。
足軽の中の鉄砲隊の精鋭が雑賀周と呼ばれていました。
城主が初代堀尾氏、京極氏、松平氏となるころには、雑賀町と雑賀周の名前がつきました。
碁盤の目のような江戸時代の町割りの面影を残し、民家が連なる松江市雑賀(さいか)町は、車1台がやっと通れる狭い東西約600メートルです。
国道9号線の南側約100メートルに平行してはしっています。
何時でも出陣の準備は怠りませんでした。天下も平定され、江戸時代の平和な世の中が続く事になりますが戦国時代の精鋭たちは、
その時代にも、 特殊技能を秘めた雑賀の下級武士団は算術などの素養を伝え、貧しいながら向学心の強い地域だったらしいのです。
明治維新前後までに、二十を超す寺子屋や私塾が誕生しました。
明治6(1873)年にはこれらを洞光寺へまとめ、松江最初の小学校(現雑賀小学校)が開校しました。
それ以降も勉学の機運は衰えず、総理大臣を2度務めた若槻礼次郎、近代スポーツの父・岸清一、教育者であり法律家の梅健次郎をはじめ郷土の偉人を多数輩出しています。
今も雑賀小学校には「雑賀魂」という言葉があり、学問に打ち込んで身を立て、何らかの道で日本一になり、世のためになれという意味だそうです。
今、NHK大河ドラマでは、長州藩の吉田松陰の妹さんで盛り上がっています。
松江藩も学問においては、明治維新の時代にもそんなには引けを取ってはいなかったのです。
それから、数十年後には消費税を導入した竹下 登総理大臣も島根県が生んだ偉人なのです。



交通バリアフリー研修会に行きました!

2015年02月13日 14:14   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
立春になりましたので、少し安心をしていたら真冬に逆戻りのこちら松江市です。
2月10日(火)に島根県浜田市で「交通バリアフリー」の研修会にプロジェクトゆうあいからコーディネーター・講師として参加しましたので、報告をします。
この研修会は、国土交通省中国運輸局島根支局の主催で毎年、地区を分けて開催されています。
昨年、一昨年は、松江、出雲地区で開催され、今年は島根県西部の浜田市で行われました。
今回の研修テーマは、「心のバリアフリー」です。
特に交通弱者である身体障がい者・高齢者の利用時を想定されました。
参加対象は、バス・タクシーの運転手さんです。
まずは、2つのグループに分かれてのアイマスクと高齢者の疑似体験です。
高齢者体験は準備が大変そうでした。
目にはゴーグルをつけて真ん中くらいがほんの少し見えるそうです。
耳には、ヘッドホンをつけてほんの少ししか聞こえないようにします。
これだけではなく、からだにはおもりをつけたり膝を曲がらなくしたり重いスリッパ
をはきます。
重装備なのでみなさんは苦労してバスやタクシーの乗り降りの体験をしました。
しかもバスはノンステップどころか3段ステップのです。
なにせ、急にそんな恰好をさせられるのですから運転手さんたちもたまったもんでは
なかったと思います。
「もう少し大きな声で誘導してくれないと聞こえません。」、「怪談は上がるの?下がるの?。」などの声が聞こえます。
私と盲導犬のハウルは、アイマスクのグループのみなさんと一緒に乗り降りをして注意す
ることやここではこんな声掛けをしてくださいなどの願いをしました。
今日はNHKのカメラが2台来ていてその様子を取材しています。
それから、教室に戻って、私が講演をしました。
あれっ!既にカメラマンさんは、帰られたみたいです。残念!
講演内容は、いくらハードな面が充実しても完璧になることはないとかバスやタクシ
ーに乗る時には、人の声で話しかけてもらうと自分の事を見ていてくれると感じるの
でほっとする事など最近は、スピーカーから流れる機械音では思いやりという面では
さみしいものを感じることなどをお話しました。
私の毎日の盲導犬との通勤時に実際に運転手さんや乗客のみなさんに手引きや空いている席をおしえてもらったりまた、席を譲ってもらう事、時には運転手さんも運転席から降りて解除しなければならない事などお話をしました。
運転手さんたちはとても真剣に研修していただきました。
テレビに映らなかったのは残念でしたが、今日は有意義な研修会となりました。
明日から島根県西部のバスやタクシーは利用客にとっては、ソフト面でのバリアフリーが進んだ事は、間違いの無いところです。


 


 



「中国やまなみ街道」開通が3月22日に!!

2015年02月04日 11:44   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
昨日は、赤おにのお面をつけて子供たちにマメ攻撃をされたお父さんも多いのではないでしょうか。
お疲れ様でした♪
今日から、暦の上では春に突入しました。
今日は、中国横断道尾道松江線の愛称、「中国やまなみ街道」がいよいよ3月22日に開通するという話題です。


中国横断道尾道松江線の愛称が、公募で「中国やまなみ街道」に決まり、全線開通は、3月22日になりました。
開通を前に松江~広島の国道沿線の市町村では、「食」に関する交流が盛んに行われています。
2月1日には、JR松江駅前では、カニ汁、かき、イノシシ肉、島根和牛などの屋台が並び、地元の人や旅行客に「食」の流通をアピールされました。
愛称が、公募で「中国やまなみ街道」に決まったのは、中国山地の穏やかな稜線をイメージでき、広島
県尾道市と四国を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」との一体感があるとの理由から決まったとのことです。
親しみやすい呼び名で知名度アップを図り、利用促進につなげようと、島根・広島
両県の沿線9市町などでつくる建設促進期成同盟会が決定しました。
松江市から尾道市まで約137㎞が約2時間30分で結ばれることになります。
特徴は、無料の高速道路 です。(一部区間を除く)
新直轄方式で整備された高速道路ですので、通行料金は無料です。(三刀屋木次IC~松江玉造IC間除く。尾道本線料金所~尾道JCT間除く。)


?新直轄方式とは?
高速道路の建設において、高速道路会社によらず国と地方自治体の負担によって建設するもの。
従って、高速道路の通行料が無料となる訳です。
各自治体が資金を出し合って出来たのですから、「食」だけでなく、より、文化、産業、観光など多方面からの交流を願っての開通となります。
ますます、四国と山陰が近くなり利用が盛んになり交流の機会も増えることを願います。



★節分の由来・意味をご存じですか!?

2015年02月02日 11:35   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
節分の次の日は立春となり春の足音が日に日に聞こえて来るように感じますが、昔から節分荒れといって雪が降り海は大荒れとなることが多いようです。
今年はどうなんでしょうか。
今回は、節分のお話です。ご存じでしたら、ご容赦下さい。
節分って年に1回だけではないんです。節分の由来・意味は季節を分けるという意味もあり、春夏秋冬の季節の始まりはすべて節分なんです。 
つまり1年に4回、それぞれの季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前の日が節分の日となります。
今では、新しい年(立春)を迎える前日(立春の前日・節分 )に、鬼に豆をぶつけて邪気(おに)を払い、福を呼びこもうというわけで豆まきをする習慣は、神社やお寺で大相撲の力士やスポーツ選手や年男などが行います。
なぜ豆をまくようになったかは諸説あり、はっきりしたことは不明のようです。
現在では、外に向かって「鬼は外」とその家の主人が行うのは、珍しくなりました。
こちら松江市でも大きな声では聞いたことがありません。
それでは、次に節分の恵方巻以外に特別に食べるものです。
節分で食べるものは鰯(いわし)が有名ですよね。なぜいわしなんでしょうか?
昔から臭いのきついものや尖ったものを厄払いに用います。そこで、鬼の嫌いなものは「臭い鰯(いわし)の頭」と「痛い柊(ひいらぎ)のトゲ」とされ、鰯の頭を焼いて柊の枝に刺し、それを家の戸口に置いて鬼の侵入を防ぐ焼嗅(やいかがし)という風習がうまれました。
いわしも厄除けとして利用されたようですね。最近ではいわしを玄関に置く家は少なくなってきましたが、いまでもいわし料理を食べる地域もあるようです。
皆様の地方では、どんな風習があるのでしょうか?
私の田舎では、12月31日の大みそかとほぼ同じような料理を食べていました。
献立は、大根と人参の酢の物とこんにゃくの入った煮しめとおそばが普段の食事にプラスしてありました。
最後に、恵方巻きを食べるのはなぜでしょうか?
もともとは太巻きには7種類の具材を使うとされています。この7という数字は七福神に関係した縁起物とされてきました。しかしながら、節分に恵方巻きを食べるのは日本全国に昔からある風習では無かったようです。
私などは、ここ2~3年前くらいからです。この時期になるとスーパーやコンビニで盛んに予約をとっています。
マスコミの宣伝効果は絶大ですね。もともとの風習がない人もなんだかたべないといけないような気にさせられますね。
恵方巻の名称・由来は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことによるとされています。
それからは、他のコンビニでも取り扱うようになりました。
恵方巻の食べ方は、その年の吉方を向いて一言も喋らずに一気に食べます。家族何人かで一緒に食べると意外に辛いものですよね。
明日は、節分ですが、手っ取り早く恵方巻でやり過ごすことになりそうです。



◇出雲大社参道で55店舗で「縁」集める人生ゲーム!

2015年01月29日 14:12   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
お正月の行事もすべて終了し、早1月も過ぎ去ろうとしています。
今回は、出雲大社参道で「縁」を集める人生ゲームが開催された話題です。
神門通りの店舗でボードゲームするなんて考えも及ばない大きなイベントです。
内容はというとこうです。  
出雲大社門前町の神門通りで、平成27年1月24日・25日両日、各店舗を人気ボードゲーム「人生ゲーム」のマスに見立てて50店舗を巡りお店の人とのやり取りをしてここだけ通貨のお金を稼ぎます。開催両日を通して獲得通貨の多い上位10チームには豪華賞品を進呈されました。
参加料は、1ユニット500円で、カゾク単位、友達単位など様々です。
開始位置の出雲大社勢溜で職業を決めて、ルーレットを回して出発しました。
神門通りの55店舗が参加し、各店舗では、「割りごそば早食い選手権に出場。賞金○○万縁をもらう」、「親戚一同に俵まんじゅうを贈る。○○万縁払う」などのイベントが用意されていました。
中には、「ぜんざい餅坂根屋でおもしろ名物おじさんとじゃんけんする」、「花嫁センター草谷で結婚」など、特別なマスも用意されたそうです。
ゲームは、ゲーム内通貨の「縁」を多く集めることが目的で、参加者には終了時の獲得通貨に応じて参加店舗で使える商品券が配られました。
また、首都圏から、独身女性を招き、地元の男性軍とゲームを通して、交流も深めたそうです。カップルが誕生したかは、不明です。
婚活イベントを同時にするとは、ここにもユニークさが溢れていますね。
このような地域を巻き込んだユニークなイベントは全国的にも珍しいのではないでしょうか。
この神門通りは、出雲大社遷宮ブーム前には、空き店舗がポツポツあり、頭を抱えていたのが、今では、観光客も大勢訪れ、活気に満ちた門前町となりました。
これからの意表をつく珍イベントに期待したいと思います。