松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

雲南市大塔町の海潮のカツラと岩のコラボ!

2019年04月01日 15:51   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。改元された年号は「令和」になりましたね。以外な年号でしたの
で、面食らった人も多いのではないでしょうか?
さて、今回は珍しい岩と巨木のコラボの紹介です。
松江市内から県道24号松江木次線を大東方面に向かう途中、左手に「海潮のカツラ
」と記された標識が目に入ります。指示標識どおり向かい、100m程行くと日原(
ひばら)神社の鳥居横に巨大な御神木のカツラが悠然とそびえています。 樹齢千年
を経たと言われる巨株より主幹は朽ちていますが、7、8本の支幹が勢いよく伸び茂
っており、神域の荘厳さを引き立てています。樹高は、約30m、幹周り20m(枝
葉は東西南北にほぼ30mの範囲で拡がっています)で、昭和12年には「海潮のカ
ツラ」として、国の天然記念物にも指定されています。春先(3月20日前後)に僅
か3日間という短い期間に紅色の気品のある小さな花を咲かせると言われています。
是非、一度観賞したいものですね。
また、社殿の周辺には、石英岩が露出した岩石があり、天候の具合では、周囲の樹木
など景観を鏡のごとく写し出すことから「鏡岩」と言われています。


【日原神社御由緒】
当社は出雲風土記所載の神社にして御祭神大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)、天
之日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)、若盡女神(わかつくしめのか
み)を祀り古くより伊勢宮、伊勢大明神、日原大明神とも称され俗に鏡の宮ともいわ
れ延命息災、五穀豊饒、産業の守護神、安産の守護神として信仰をあつめてまいりま
した。
御祭神の大日霊貴尊は天照大神の別名で日本の総氏神様、皇室の御租神として伊勢の
皇大神宮にお鎮まりになっています。こうした御祭神から伊勢宮、伊勢大明神と呼ば
れていました。
天之日腹大科度美神は大国主神の後裔、布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみとりなるみの
かみ)の妃、若盡女神の御子神として此の地「日の原」にて御誕生になり、この地に
御鎮まりになったと伝えられています。その誕生の折り、産湯池の水を汲み産湯とし
お使いになられたと伝えられます。
藩主松平齋貴公、出雲国内名社参拝の折り、大原郡では当社と諏訪大明神に御参拝に
なり、幣帛料百疋御供になり藩主松平公の参拝は再三に亘ったと伝えられます。


【鏡の岩】
社殿の周辺に鏡岩と言われる石英岩が露出した岩石があり、天候の具合で、周囲の樹
木など周りの景観を鏡のごとく美しく写し出すので「鏡の宮」と呼ばれています。


住所 雲南市大東町中湯石1446
アクセス 車/出雲大東駅から約15分  松江西ICから約20分


島根県内にはこのような巨樹巨木がたくさんあります。巨樹巨木を探し訪ねる旅は
、幸運をもたらしてくれるかもしれませんね。



江戸に残る松江藩・赤坂御門内の上屋敷

2019年04月01日 15:14   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。桜は咲くには咲きましたが季節は冬に逆戻りの松江市です。、
さて、江戸時代にあった松江藩ゆかりの建造物は、これまでに火災、地震、空襲、都市開発で壊滅的な被害を受けました。現存する史跡は皆無に近いですが、探してみるとあちらこちらで面影を垣間見ることができます。今回は、東京に残る松江藩ゆかりの地と品々を訪ねる。
日本の政治の中心地・千代田区永田町にある衆議院議長公邸。ここは隣接する参議院議長公邸とともに元は松江藩の上屋敷があった場所で、上屋敷は松江藩の江戸における本宅。藩主とその家族が住んでいました。また、藩の総合事務所的機能も果たしてきた場所です。
江戸の切り絵図で見ると、上屋敷があった場所は赤坂御門を入ってすぐ右。近くには紀伊、尾張など徳川御三家の名前が記された屋敷が見えます。この地域は赤坂御門内と呼ばれ、江戸城に近く、親藩や譜代、幕府の重臣が屋敷を構えていた特別な場所でもありました。
江戸時代、大名は江戸にいくつもの屋敷を所持していました。松江藩にも分かっているだけで、赤坂の上屋敷をはじめ計十二カ所の中屋敷、下屋敷、お抱え屋敷がありました。
7代藩主治郷(不昧)の時代、二万二千坪の敷地に十一の茶室があったことで知られる品川大崎の下屋敷もその一つです。しかし、他の屋敷と同様に、それを現代に伝えるのは古地図や古文書、遺品、出土物だけです。その中で唯一、遺物が現地に残っているのが、赤坂の上屋敷があった場所です。
衆院議長公邸内に残っているのは「徳川家康駿河城内居 金水輪 慶長十三年戊申四月大安日」の文字が刻印された井戸枠。徳川家康が駿河城(静岡県)で使っていたものを直政が拝領し、ここに移して使っていたと伝えられています。
一枚岩をくりぬいた石製の枠で大きさは二メートル四方。重さ約二トン。井戸は明治以降、閑院宮家があった昭和まで使用されていたといわれていますが、地下鉄やビル工事、議長公邸の改築もあって現在は井戸枠だけが残っています。
上屋敷からは富士山や秩父の山並みも見渡せたといいます。庭では句会や宴が開かれ、庭にはその名残ともいえる富士山の形をした句碑が今に残ります。衆院議長公邸は富士山が見えるということで、参院議長公邸より狭くされたという話はよく知られていますね。
大名屋敷のほとんどは一六五七(明暦三)年、俗に「振袖火事」とも言われる「明暦の大火」で焼失してしまいました。松江藩の上屋敷もこの後、現在の場所に建てられた。多数あった屋敷の中で幕末まで場所が変わらなかった屋敷でもあります。
歴史好きの私には是非、行って見たい物の一つですね。