松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

江戸時代の町火消しはどこから給料をもらっていたのでしょうか!! 

2026年10月07日 15:46   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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盲導犬 アリア@矢野です。
10月に入り気温も25℃を下回り朝は長袖でないと寒いくらいの松江市です。 
散歩では、キンモクセイのいい香りがしています。

ところで、時代劇の「暴れん坊将軍」でお馴染の「め組」という町火消しは
この時代の消防団ですね。
テレビではあんまり通常はこれといって仕事をしてはいないように見受けられますが
実際のところはどうだったのでしょうか? 
町火消し組織は江戸時代に入ると割りとすぐに組織されたようです。
特に8代将軍徳川吉宗の享保の改革では町奉行の大岡越前に命じて
火消し組織も改革したようです。
 
江戸107町の火消しは、ボランティアの消防団組織ではなく一人ひとりの火消しに
きちんと給料が出ていました。
町奉行からではなく江戸の町の費用で運営され、たとえ火事がなくとも
ちゃんと支払われていました。 
ただし、その額はかなり安く、ヒラの火消しで一ヶ月に450~800文程度。
1000文を2万円に換算すれば、9000円から1万6000円程度でしかなかったようです。
一番給料の高い纏(まとい)持ちでも2~3貫文、現代のお金に換算して
4万円から6万円といったところだったようです。
ほかに役得として、湯屋や寄席、芝居がタダになることもあったようです。
これは、給料が安いのだから、町人たちからせめてものサービスといったところ
だったようです。
そんな給料で暮らしていけたのは、彼らには鳶職という本職があったからです。
火消しはアルバイトのようなものにすぎなかったので、
安月給でもやっていけたのです。 
また、彼らが安月給でも火消し業に励んだのは、町火消しならではの
魅力があったからです。
町火消しが火事に恐れず飛び込んでいくさまは、江戸っ子気質に響くものがあり、
彼らは一種のアイドル的存在でもありました。 
とくに各組の組頭は、相撲力士に並ぶ、江戸の花形とされました。
「め組」の頭の北島三郎は町内からは一目おかれていた訳ですね。
花形として脚光を浴びる快感があったから、給料の安さは
さほど大きな問題ではなかったようです。 
では、江戸ではどのくらいの火事があったのでしょうか? 
慶長6年(1601年)から慶応3年(1867年)の267年間に
大火だけで49回、小火も含めると1798回もの火事が発生しました。 
当時の町火消しは江戸全体で約1万人で構成されていました。
今でもとび職は高層ビルや瀬戸大橋など高所作業で鉄骨などの組み立てなど
花型ですね。
また、保存会では正月や結婚式などのお目出度い席でのきやり歌を披露していますね。 
時代劇も当時の時代背景を認識しているか否かで面白さが増しますよね。