松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

美保神社の周辺の観光スポット

2014年12月26日 14:25   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
クリスマスも終わり、いよいよ年越しに向けて気が焦るところとなりました。
今回は、美保神社の周辺の観光スポットの一部紹介をします。
美保関は美保神社の門前町として繁盛した町ですが、美保神社から仏谷寺に至る青石畳は江戸時代の参拝道の遺構です。
美保神社の鳥居をくぐり右に曲がると石畳の通りがあり、150mほど行って左に曲
がり100m行くと仏谷寺に着きます。
神社前の通りには越前石が使われ、本通りには周辺の海岸から運ばれた緑色凝灰岩が敷かれていますが、形は正方形に近いものから長方形などさまざまです。
この青石畳通りが以前の本通りで、参拝客相手の旅館やみやげ物屋で賑わった通りです。


その当時の面影を残す古い町並みと石畳の道が落ち着いた雰囲気をかもし出していて、何ともノスタルジックな気分にさせられます。
この周辺の散策は、食いしん坊の人には、耐えられないいい匂いが漂います。
美保の関名物の食べ物と言えば何といってもイカ焼き、イカの一夜干しです。
他にもサザエのつぼ焼き、ゆでたての松葉ガニ・・・など海の恵みの美保関名物は、数えあげたらきりがありません。
この通りの屋台で食べるもよし、お土産に買うもよし、宿でゆっくり味わうもよしです。
「烏賊の味忘れで帰る美保の関」と高浜虚子も俳句に詠んだその味は、一度食べたら忘れられないおいしさです。
また、しょうゆアイスなど新名物もぞくぞくです。
ここで仏谷寺 (ぶっこくじ)について説明しておきます。
門を入って右手の大日堂(だいにちどう)には、5体の仏像(重文)が安置されています。
薬師如来坐像を真中に、聖観音立像3体と、菩薩形立像1体が並んでいます。
いずれも平安初期の一木(いちぼく)彫で、出雲様式といわれる素朴でダイナミックな地方色豊かな仏像です。
これだけの重文仏像群が、地方の小寺院に現存するのは注目すべきですが、このことは、仏谷寺の前身が相当大規模な寺院であったことを物語っているそうです。
そういうことで、 三明院は隠岐へ流された2人の天皇の風待ちの御座所にもなった訳です。
承久3年(1221)7月27日、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、出雲大浜浦(美保関)に着かれ、しばらく逗留されたが、そのときの宿が三明院だと伝えられています。
それから約100年後、元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇もまた倒幕に失敗して隠岐配流となりました。
もう一つ、「関乃五本松節」の由来についてです。
江戸時代、「西回り航路」の発達により山陰第一の要港美保関は北前船をはじめとする大小の船舶が往来し大変にぎわっていました。
長い航海を経て、美保関に入津する船は、海上に島根半島の影が現れると、西側入り江近くの小高い山にそびえ立つ五本の黒松を目当てにしておりました。
江戸時代、松江藩主は、美保神社に月参りかたがた関所及び施設の巡視を行いました。その際、路面が狭いことや眺望が遮られるという理由で、五本の松のうち一本を切らせてしまったのです。
船人達は藩主の横暴さに怒りを感じておりましたが、表だって抗議することもかなわず、ふたたびこのような暴挙がなされぬ事を願うばかりでした。
民謡「関乃五本松節」は船人達のやり場のない気持ちから自然とほとばしり出た唄だといわれています。
横暴な藩主への痛烈な批判とともに、せめて残りの松は夫婦松として末永く栄えるようにと祈りを込めて歌われたものと伝えられています。
毎年10月には、正調関乃五本松節 全国優勝大会が開催され、唄、太鼓、絃、踊りの4部門で日頃の練習の成果が競われます。
また、美保湾に面した旅館に宿泊された人は、朝早く漁港を散策されると朝捕れたばかりの魚類が市場でセリにかけられる場面に出会う事が出来ます。運が良ければ漁師さんにおすそ分けがいただけるかもしれませんよ。
他にも観光スポットは多くありますが、今回は、このあたりで失礼します。
プロジェクトゆうあいのスタッフが取材にこの地を訪れた時の写真を2枚添付します。
1枚目は、青石畳通りの写真です。
2枚目は、スタッフがおいしそうにイカを食べているところです。



美保神社はえびす様の総本宮

2014年12月19日 17:24   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。今冬最強の冬将軍が日本列島を荒れ模様にしています。
12月に今年のような大雪は珍しいそうです。被害に会われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
今回は、「美保神社はえびす様の総本宮」の紹介をします。
美保神社は、島根半島の北東、松江市美保関(みほのせき)町にあります。民謡「関の五本松」でご存じの方もおられるのではないでしょうか。
また、日本最古の石造りの灯台も有名です。そんな海の関署と言われるところです。
事代主神系えびす社3千余社の総本社です(蛭子神系のえびす社の総本社は西宮神社)です。
特に水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。
えびす様は右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える御姿で親しまれています。
魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖ノ御前・地ノ御前と云われ美保神社の飛地境内)において日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以です。
七福神の宝船にお乗りのえびす様は、こちらの神様です。
二つ目は、拍手(手打ち・手締め)の起源です。
『古事記』の「国譲り神話」に記述されています。
出雲国を譲るように言われた大国主神(おおくにぬしのかみ)は、御子神の事代主神にその返答を委ねます。事代主神は「畏(かしこ)し、この国は天つ神に奉り給え」と直ちに了承し、「天逆手(あめのむかえで)」を拍ったとあります。
これが、現在の手打ち・手締めの起源であり、拍手を打って約束を交わすという意味で、商談がまとまった際や建設現場での竣工式などで用いられる一本締めや三本締めもこれにあたります。
    えびす様を「商売繁盛の神さま」と崇敬する所以のひとつでもあります。
三つ目は、歌舞音曲(音楽)の神様です。
多くの船舶が停泊する美保関港「関の明神さんは鳴り物好き、凪(なぎ)と荒れとの知らせある」と、船人の口から口へと広く伝えられました。
美保関は古くより海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、風待ちの港として栄えた場所です。
船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。
直径157cmの大鼕直径157cmの大鼕846点の奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕など名器や珍品も数多く含まれております。
平成4年には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させ、一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が行われています。
以上、今回は、少しお堅い話でした。
次回は、美保神社周辺のスポットの話題です。


 



★松江藩(松平家)の藩主の暮らし(後編)

2014年12月15日 14:06   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
「松江藩(松平家)の藩主の暮らし」の後篇です。
「真那箸(まなばし)」を使って食材に手を触れず調理をすると説明をしました。
平成のこの世に江戸時代当時の料理の再現し、神社に奉納している人がいます。
奉納する神社は、松江市にあります玉造湯神社です。
この神社は、玉造温泉の守護神ですが、最近は、それより「願い石・叶い石」の縁結びスポットとしての方が有名かもしれません。
この神社の例大祭に地元玉造料理人協会の会長さんが、3年前に山陰流の秘儀(?)を関西の料理人から教授されたそうです。
山蔭流式包丁は、平安時代から室町時代にかけて、武家が格式ある客人をもてなす際に、魚などをさばく姿を披露したのが始まりです。
この日、烏帽子(えぼし)、狩衣(かりぎぬ)姿の会長が約40センチの包丁と箸を、雅楽に合わせて舞うように振るい、約50センチのタイを三枚に下ろしました。
例大祭にこの地を訪れるとこのパフォーマンスにお目にかかれるかもしれません。
話を元に戻します。
殿様の生活の実態はどうだったのでしょうか。食事だけでなく生活全般に様々なしきたりがあったそうで、着替えからトイレ、入浴なども家来任せ、風呂の湯が熱くても係の風呂坊主には口をきけないので「おお、熱い」と独り言をいうと、それを聞いた坊主がお小姓に伝える、殿様にそれを確認してから坊主にうめる指示をするのだとか。
身分の違いで、直接口を聞こうものなら打ち首にもなろうという時代です。
お殿様もいちいち面倒くさいですね。
また、松江藩では、財政が当初は、赤字続きであり、前述のような豪華版の料理は、藩財政を改革して、黒字化してからの事と思います。
不昧(ふまい)と号した7代・松平治郷は特に有名な藩主です。
ご存じの通り、作動の号です。作動の関連のお茶はもとより、茶器などの陶芸も奨励しています。
武芸にも堪能で、松江藩の御流儀である不伝流居相(居合)を極め、不伝流に新たな工夫を加えたとも言われます。少し意外な気がしますね。
金魚を愛し、部屋の天井に硝子を張って肱枕で金魚を眺めた、金魚の色変わりについて藩士をわざわざ、他国に派遣してその秘法を会得させた、などとも伝えられています。
松江藩で開発された、金魚の出雲なんきんがこの金魚と思われます。
また、鷹狩もお好きだったようで、獲物になる鴨類の飼育場所まであり、勝手に狩猟などしようももなら大変な事です。
今でいう禁漁区です。殿様の鷹狩には、飼育した鴨をはなすのですから、狩りも出来ますよね。
このように、趣味も多彩で、武芸にも長けていたり、財政も立て直したと言われればやっぱり後世に名を残すお殿様です。



松江藩(松平家)の藩主の暮らし(前編)

2014年12月11日 14:31   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
松江市では、「松江城を国宝にしよう!」という運動が進められています。
今回は、江戸時代のお殿様の食事や暮らしぶりを紹介します。
松江藩は、石高18万6千石でしたので、そんなに大きい藩ではありませんでしたが、大名は1万石からといいますからそこそこだったのでしょう。
松江城では、お殿様が過ごされたのは、三の丸御殿です。
昔の藩主の御殿場所(松江城三の丸跡)は、現在の島根県庁が建っているところにありました。
同じ三の丸にお殿様の料理を作る台所もありました。 御台所には奉行2人、添奉行2人が勤めました。このほか約150人が勤めたそうです。
料理の分担の仕方は、こうです。
御台所は塩梅(あんばい)役・御料理人・板前・御飯方・汁方...など細かく分担がありました。
塩梅役は江戸の名店で研究を重ねた料理人が勤め、味見や毒見をしました。藩主の献立はこの塩梅役と侍医が健康状態や前日の箸の付け方を見て決めたそうです。
最も難しいのは料理人で、「真那箸(まなばし)」を使って食材に手を触れず調理をするという、高度な技術を持っていました。
料理法は、こうです。
城内の食事は大体において贅を尽くしたものでありましたが、特に鶴の料理、鯉のすがた見、袋鴨、鯉の糸作りといった料理が上等で、これらの料理は真那箸を使いました。
箸で皿を洗ったり直に魚や鳥肉に触らずに料理をするのですから、達人の域です。まるで曲芸のようですね。
この料理法は、古くからの日本の料理法なのだそうです。お殿様の口に入る物に触れてはいけなかったようです。 
常時の食事と祭事の料理の数(皿の数)は柱立といいます。 
柱立とは膳に乗せる汁・皿の数を定めたもので、藩主は通常一汁五菜、特別な日は最高の三汁十菜でした。
正月は最も贅美を尽くし、初献から三献までの御式(始めは生で出し、後の御引替膳を召し上がる)の後、御高盛といってまた初献から三献までを行い、その後やっと三汁十菜の御引替膳を自由に召し上がる事ができました。


お殿様の食事の残りを下げ渡される人も決まっていた訳ですからお殿様も全部たべれなかったようです。
ご家来方も特に祭事の時は、待ち遠しかったのでしょうね。


後篇に続きます。



宍道湖のブランド「宍道湖シジミ」

2014年12月08日 13:31   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今回は、宍道湖のブランド「宍道湖シジミ」の紹介です。
松江しんじ湖温泉に宿泊された方ならご覧になった風景だと思います。
宍道湖北岸から南に嫁が島があります。その周辺にしじみ漁の船が幾層浮かんでいます。
朝もやの中のこの風景は、絵ハガキにもなっているほどの早朝の宍道湖です。
しじみ漁の事を松江では、「しじみかき」と呼びます。
この漁は、「ジョレン」(5mの竹竿がついている」という漁具を使い湖底を浚うのです。これが「かく」という動作なのです。
竹竿を引き上げ、ジョレンを船の近くでザクザクと上下させ、小さいしじみや泥や砂を湖中に落としてから、残りを船に移します。
予想以上に力仕事なのです。
「シジミかき」も達人はジョレンの中にシジミがたくさん捕れますが、新人は殻のシジミばかり捕れるとか聞いた事があります。
日本に生息している代表的なシジミは、淡水にすむマシジミ、汽水域にすむヤマトシジミ、琵琶湖にしかすんでいないセタシジミの3種です。
勿論、一般には、大和しじみが流通の99%です。
宍道湖漁協では、シジミ資源が枯渇しないよう自主的な資源管理を実施しています。
しじみ漁は、月~金曜日の週4日間です。時間は、一日3~4時間で、一日の収穫量も決められています。
また、ジョレンは、小さいしじみが捕獲されないように隙間を開けています。
ヤマトシジミは水中に浮遊する植物プランクトンなどの有機物を水と一緒に入水管から取り込んで、ろ過して餌にしています。
このように、大きなろ過作業を持っているヤマトシジミは、宍道湖の植物プランクトンの大量発生を抑え、水質浄化のために私たちが想像する以上の役割を持っているのです。
最後にシジミの砂抜き方法を記載しますのでご活用下さい。
水道水で砂抜きしては絶対だめです。食塩水で砂出しを行います。1lの水道水に約10gの食塩を入れます。これは海水の約1/3程度です。
広いざるなどを使用します。冷暗所では砂出しがしやすいです。
砂出しをしたシジミは、冷凍庫に入れれば半年は美味しくいただけるそうですよ。
年末年始にお酒を飲む機会が多くなります。
しじみ汁で乗り切る事にします。


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