松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

女子校生が開発協力の占いクッキーが人気商品になって工場生産に!

2018年04月16日 11:27   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。4月9日に発生した島根地震の余震が未だ時々感じる松江市です。季節が進んだり後戻りしたりと春は体調管理が難しい季節ですね。
さて、今回は、何年か前に地元の女子校生と玉造温泉の企業で協同開発した商品が、ヒット商品に成長し、工場生産に切り替えることになった「姫神占い神社クッキー」という話題です。
既に玉造温泉に宿泊又は松江においでた方はお買い求めされているかもしれませんね。
神社クッキーは2014年、同校商業研究部の生徒と、玉造温泉街の活性化に取り組む「玉造温泉まちデコ」が協同開発したクッキーです。地元産ショウガを生地に練り込み、ハート形や勾玉(まがたま)形など3種類のクッキーを、おみくじ感覚で楽しめる仕掛けを施して売り出しました。
1個入り(税込み150円)、5個入り(同540円)、12個入り(同1080円)があり、ツバキの花をイメージしたかわいらしい包装箱なども若い女性を中心に人気を集め、累計売り上げが3千万円を突破する大ヒット商品となりました。
一方、これまで手作りで1日200~300個を製造してきた「まちデコ」では、高まる需要に対応が難しくなり、1日7千個を製造できる同市内の別のお菓子製造工場に委託しました。同社で製造した商品は23日から玉造温泉街の旅館や店鋪、出雲空港(出雲市)内の売店などで販売する予定です。これまでの6角柱の包装箱に加え、かさばらず手土産にしやすい薄い箱形も試験的に店頭に並べるそうです。
長く販売していけるようにする取り組みです。
松江を代表するお土産になってほしいものですね。



松江城天守が築城時に戻って広くなった?!

2018年04月06日 14:40   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。今回は、松江城天守に展示されていた展示ブツが一旦撤去されて広くなり、今まで見えなかったところも見えるようになったという話題です。
松江城天守の1階から最上階の5階までに置かれていた展示ケースや展示品が撤去され、ほぼ江戸時代のままの状態が見られるようになりました。その期間は、6月に展示を一新するまでの一時的な措置です。
そもそも松江城天守は、城の床面積は現存する全国12城の天守で、姫路城天守についで2番目に広いそうなんですが、展示品が多く折角の特徴が隠れて見えなくなったり、広さを感じ憎くなったりしてきた為に展示ブツを吟味のうえ一新する事になりました。天守の展示物は、市が旧藩主の松平家から天守を譲り受けた1927年以降、少しずつ増加してきました。市民から寄贈を受けた甲冑(かっちゅう)など、城に関係のない展示物も多かったことから、見学者から「わかりにくい」という声が上がっていたのです。
松江市では城にゆかりのある展示品に限定し、天守自体の特徴がわかるようにしようと、3月末までに25の展示ケースや城下町のジオラマなど163件、約15トンを撤去しました。
1階に足を踏み入れると、壁際にあった展示ケースや柵がなくなり、がらんとしています。薄暗いフロアにあるのは松平松江藩の初代藩主・松平直政の銅像と、登城や非常時の呼び出しを伝える太鼓だけです。約400年前の築城時の様子が伝わってきます。
確か、江戸時代の文献によると、1階南西角には便所があったとされています。展示ケースの撤去により、かもいと敷居の跡がわかるようになり、引き戸があったことが想像できます。壁には、四角形にくりぬいた「狭間(さま)」があるのが面白い。敵に向かって鉄砲や矢を放つために作られたという。
1階の床面積は447平方メートル大きい付け櫓ついているのでそのくらいは想像出来ます。今までは、殺風景だなと思っていましたが、展示があればそちらにばかり目がいきます。狭間の造りなどの見どころはたくさんあってじっくりと見学できます。
確かに2階でも、石垣をよじ登る敵兵に石を落としたり熱湯を浴びせたりするすき間「石落(いしおと)し」や、2階分の柱を随所に立てて天守の重さを支える「集成材の通し柱」などの建築技法がより見学しやすくなった印象です。一方、狭間は閉じられて外が眺められないのが残念でした。新展示には、外国人観光客に国宝の価値を知らせる外国語の説明板も必要でしょう。ですが、展示物は極力絞り込み、江戸時代の趣を感じられる名城を目指してほしいものです。
築城当初の天守の様子を体感できる機会です。隅々まで目を向け、広さを感じてみられます。是非、この機会に国宝松江城天守を訪れてみてはどうですか!






明日、4月7日は「松江武者行列」が開催されます!!

2018年04月06日 11:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。今春は、寒暖差が特に激しく、体調管理や年度末また年度の始まりで人の入れ替わりで精神的にもストレスを受ける事から「春バテ」に陥っている方が多いとか聞きます。桜前線も急ピッチで北上しています。こちら松江市では、今日の強風で松江城の堀川も花筏状態になるのではないかと思います。
さて、松江市では、明日4月7日には、もはや春の風物詩となった堀尾吉治が松江城に入場を再現した「松江武者行列」が催されます。私も盲導犬と行列に参加したいと思ってはいるのですが、未だに実現しないままです。
それでは、どんなことをするのかです。ただ行進するだけではありません。
行列の途中で、参加者が練習を重ねた演舞を披露する箇所が 2 カ所あります。(松江大橋、島根県庁前) 
一行は、演武の練習を計4回重ねています。プロジェクトゆうあいのスタッフも演武に参加します。幸いにも天候は少し寒の戻りもあるようですが、ドキドキしながら張り切っています。
ご覧になるには行列ルートの歩道で、移動しながらという事になります。また、フォトコンテストもあったりしますので、カネラに自信のあるかたは参加してみたらどうでしょうか。

武者行列については、下記URLまで。
松江 武者行列
https://www.musha-gyoretsu.jp/index.html



トロッコ列車が出発 「奥出雲おろち号」20周年を迎え今年も出発です!

2018年04月03日 15:24   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野を改名し、ハダル@矢野になりました。
盲導犬のハウルが現役引退した為です。今回のパートナーは、真っ黒のラブラドールです。白いマナーコートを着用するとコントラストがすごく効いてハッキリした感じで見えます。
皆さま、よろしくお願いしますね!!
 さて、JR三江線は、全国ニュースでも放送されていました。最後の日には約3300人の乗車があったようです。地元の人々も参加して、夜まで大盛り上がりだったようです。
4月1日からは列車の代わりのバスが走り始めました。バス停も整備され、利用しやすくなったようですが、江の川沿いの列車の路線とは違い風景には大きな差があるようです。
さて、同じローカル線の木次線を走るトロッコ列車「奥出雲おろち号」20周年を迎えた今年も走りだしました。三江線廃線が現実に行われ、雲南市、奥出雲町をはじめとした地元では、複雑な気持ちな事だと推察します。
奥出雲おろち号は、機関車を含めて3両編成で、全席指定。山間部では冬に積雪が多いため、運行は4月から11月までとなっています。
山間を走る為、桜のお花見もまだ間に合うかも!
これからの新緑の季節にもピッタリですね。本当は、紅葉の時期が一番かもね。廃線にならないように、全国から乗車に来て下さい。お待ちしています。



松平不昧公は文武に長けた名君だったの?

2018年04月03日 13:50   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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 ハウル@矢野です。桜の花も開花したと思ったらあっという間に満開となりました。急いで、お花見にいかないと散ってしまうと、てんやわんやの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
春は様々な花がゆっくりと咲きますが、一斉にぱっと開花したものですから春は駆け足で過ぎ去ってしまうのではないかと心配になっています。
 さて、出雲松江藩の松平出羽守治郷は道楽ものだったの?!という話題です。
 松平出羽守は、ちょこちょこと落語に登場しているのをご存じですか。登場の時代を考えるとどうも松江藩7代藩主の治里(不昧公)のようなのです。財政難の藩を引き継ぎ、家老2人に命じて10年で赤字の藩の財政を黒字に転じさせた。その上内部留保も相当残ったようだ。藩が豊かになったというと幕府は、新田開発や治水事業などを命じてお金を使わせたようである。
このお殿様は名君だったのかバカ殿さまだったのかよくわからないところがあり、一説によると財産を茶器や工芸品に変えたのだというが本当なのかは不明です。ここのあたりから落語に登場したのかもしれませんね。例えば「猫餅」。近くに住む喜作という若い百姓が客を引くようにと、招き猫を彫ってくれたので、銭箱の上に載せておいたが、その猫は鼠に鼻を齧られてしまった」というのだ。これを聞いた旅人はその猫を直して、〈いただき猫〉と名付けた。その猫の手のひらに餅代をのせると、ニャーと鳴いて手のひらを返して銭を箱の中に落すのだ。旅人は名も告げずに店を出て行った。このいただき猫が評判となり、参勤交代で道中をしている松平出羽守の耳に入り、「余も猫餅を食したいのぅ。いただき猫に勘定を払いたいのぅ」とやってきた。猫餅を食し、いただき猫に勘定を払い、その鑿の跡を見て「この作者は飛騨高山の左甚五郎利勝に相違あるまい」と看破し、ばあさん、喜作ともどもに褒美金をやった。
他にも飛騨高山の左甚五郎利勝にマツワル話がいくつかあります。300~500両を支払ったと言われている。また、「火炎太鼓」。これも参勤交代でたまたま通りがかった時の事。この日、甚兵衛が仕入れてきたのは、古く汚い太鼓であった。あまりにも汚いので、丁稚の定吉に店先でハタキをかけさせていると、定吉が手を滑らせて音を鳴らしてしまう。たちまち、一人の侍が店に飛び込んで来た。ところが、侍の話では「通りかかった主君の赤井御門守様(雲州松平家)が、太鼓の音をえらく気に入り、ぜひ実物を見てみたいから屋敷まで太鼓を持って来て欲しい」という。甚兵衛が屋敷に太鼓を持参し、殿様に見せると、たちまち売約が成立する。殿様によれば、自分は目利きであり、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」だという。なんと三百両で買うという。甚兵衛は、腰を抜かし、出された金を百五十両まで数えたところで泣きだす始末。この二つの落語でも600~800両使った事になる。これも茶道を通しての文化人としての発端が見て取れる。
 一方、松江藩で採用されていた古武術「不伝流居合術」の達の一面も持つ。 また、出雲ナンキン」を作り出した不昧公は金魚を愛し部屋の天井に硝子をを張り月光で金魚を眺めていたとか。金魚の褐色(色変わり)について藩士を他国に派遣して、その秘法を会得させ、紋様(紅白斑)まで作られたと伝えられている。 お茶、和菓子、茶器はもとより、雲州人参、はぜ蝋燭など松江の文化・産業の発展に大いなる影響を与えた名君」に違いない。
4月25日がこの不昧公の命日になります。お茶。和菓子にマツワル行事が盛りだくさんです。せっかくこの時期に松江を訪れたならこの機会を逃す事などないように計画してみては如何でしょうか。