松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

製鉄の神様 金屋子神社(かなやごじんじゃ)とは?

2016年05月09日 14:20   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
鯉のぼりと言えば、魚の鯉ですが、鮫やイルカまたオオサンショウウオのぼりが泳いでいる島根です。暦の上では立夏を過ぎて春と夏が混在していますので、着衣には困ったものです。
豊かな自然に囲まれた出雲地方には、じつに様々な歴史や特有の神話が残されています。
今回は、奥出雲から安来市まではたたら街道で大昔より栄えました。そのたたらの神様の総本宮が安来市の山中地域に鎮座していますという話題です。
たたらの発達した地域には、金屋子というあまり聞いたことのない名前の神様が祀られています。
出雲にある金屋子神社は、全国1200社を数える金屋子神社の総本山です。春秋の大祭には、たたらの職人をはじめ、製鉄に関わる様々な人たちが数多く参拝しています。 
総ケヤキ造りの本殿と拝殿、そして石造りでは日本一といわれる高さ9mの鳥居を持つ金屋子神社は、その存在感は荘厳ながら、どこか他の神社にはない異質な感じを持っています。
閑散な自然に囲まれているからでしょうか。六感に、ひんやりとしたものを感じます。まるで玉鋼を精錬し、磨き上げて作られる刃物を連想してしまいます。背筋に鋭い刃を感じます。
この神社は製鉄関係者しかしらないマイナーな存在だからでしょうか。そこに伝わる神話も、かなり奥が深いものがあります。 
こういう神話がありますので一部引用します。
大昔のある年の夏のことです。日照りで困っていた播磨(はりま)の国に、恵みの雨を降らした神様がいらっしゃいました。この神が「わたしは金山彦天目一個神という金屋子の神です。これから遠く西の方へ行き、そこで鉄を吹き、道具を作ることを多くの人に教えなければなりません」と語り、白鷺に乗り天高く飛び立っていかれました。たどりついたのは出雲の国、西比田黒田の森の「桂の木」。どうりで、金屋子神社の周辺には立派な桂の古木が多いはずです。
たたらの高殿の建設を指揮したのは、なんと75人の子どもの神々だったそうです。75種類の道具を作り、土地を整備したり、杉の木を伐って「ふいご」を作ったりしたといいます。高殿とは、「華麗なる・・」で言えば高炉のことです。この高殿には6本の大きな柱が建てられ、金屋子神、木の神、日の神、月の神が東西南北の方向を守護した。
ある年の冬の事です。「村下(むらげ)」と呼ばれる技術長が麻に足をとられ、転んで死んでしまいました。金屋子神は「村下の死骸を高殿の柱にくくりつけて鉄を吹くのです」と教えたそうです。神の言われるままにすると、これまでにない良い鉄を作ることができたと伝わッています。 
金屋子神は秘伝の製鉄技術を教え、繁栄をもたらしたという事です。その反面、「死のけがれ」を好む神様でもあるのです。あのひんやりとした感覚、あれはもしかして火柱となった村下たちの霊魂・・・・なのかもしれません。あまり気持ちのいい話ではありませんがそれだけ鉄の精錬技術は神がかった神聖なものだったに違いありません。

金屋子神に関連していろいろの珍しいタブーがありますので紹介します。
金屋子さんは犬と蔦、麻が嫌い、藤は好き
 鳥取県日野郡では金屋子さんが天降りされた時、犬に吠えられ蔦を伝って逃げられたが蔦が切れたので犬に噛まれて亡くなった。島根県飯石郡では蔦の代わりに麻苧(あさお)に絡まって亡くなった。仁多郡では蔦が切れたが、藤に掴まって助かった、などの伝説があります。神とは言いながら何とも人間臭いユーモラスな話です。そのような訳でたたらの中には犬を入れない、たたらの道具に麻苧を用いないと言います。また、桂の木は神木なのでたたらで燃やさないとされています。
金屋子さんは女嫌い
 金屋子神は女神なので女嫌い、妻が月経の時は夫の村下はたたらへは入らず、産褥の時はたたらを休み、もし仕事の手が離せないなら家へ帰らず生まれた子供の顔も見なかったそうです。村下は特に厳しく、風呂は女の入った後は絶対に入らなかったといいます。
金屋子さんは屍体が好き
 金屋子さんが突然亡くなられた時、門弟共は、たたらをどうすれば良いか分からず、金屋子神に救いを求めて祈ったところ、鉄がどうしても涌かないときは四柱に死体を立て掛けよ(仁多郡)、村下の骨を四柱に括り付けよ(吉田村)と神託があったと言います。
金屋子神社のお祭りは毎年春は三月の中子の日、秋は十月の初子の日に催されます。昔は比田の金屋子祭りと言えば出雲、伯耆はもちろん、遠い他国からもたたら師や鍛冶屋が参りに来たそうです。
詳しいお問い合わせ先は、 0854-34-0700(金屋子神話民俗館)まで。
アクセス JR荒島駅からイエローバス(観光ループ内周り)25分、広瀬バスターミナル下車乗換え・西比田車庫前下車徒歩30分



「賭け事はどうしても許せない悪いことだと思う」人の割合が、島根県は日本一!

2016年05月06日 15:12   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
GW中でもあり、松江城周辺では交通規制をするほどに観光客が多い松江市です。
さて、今まで私は、「賭け事はどうしても許せない悪いことだと思う」人の割合が、島根県は日本一だと思っていましたが、ある調査によるとそうでもなさそうです。
島根県人といっても東部の出雲、西部の石見、隠岐と3つの国に島根県は大別されます。この3つをたして3で割ってもどうでしょうか。理解不可能な人間になりそうですね。
共通しているのは、自然は売るほどにあり、人口密度が少なく高齢者が元気なところでしょうか。
これから、島根県に観光やUIターンなど島根県人に関わり合いを持つ方々に少しレクチャーをしておきます。参考にしてお付き合い下さい。
性格や気質は古くからのその土地の歴史や風土にかかる事が非常に多いですね。いわゆる県民性です。
まずは、男女の性格です。
島根県の男性の性格を一言で表現すると「内気」です。人見知りが激しく、なかなか仲良くなることが難しく時間がかかります。
しかし、本来は明るく、人情味のある人が多いため、一度信頼関係が築かれれば、末永く交友関係を結ぶことができます。
一方、島根県の女性の性格は一言で表現すると「控えめ」です。自分が前に出ることもなく、他人を押しのけるような気の強さもありません。
流行を追いかけることもないので、外見はいかにも地味な人が多いです。
しかし、内面はとても芯が強く、しっかりした女性が多いです。
また、性格が暗い訳でもなく、愛想もあり、明るく朗らかな女性が多いです。
恋愛に対しても真面目なのが島根県人の特徴です。
ひとりの人を一途に想い続け、誠実に想いを伝え続けることを大切にします。
しかし、おしゃべり上手というわけでもないので、なかなか自分の思いが伝わりにくいことも難点として挙げられます。
また、女性は特に恋愛に対して警戒心が強いため、浮ついた態度で接するのはNGです。
順序を守り、約束事をおろそかにせず、より以上に気を遣い誠実に振舞うことが絶対条件となります。
以上が一般的な昔からの島根県人ですが、反面、以下のデータもあります。
「これからの人生明るい?」と質問したところこのような結果も出ています。
人生は暗い + ギャンブル好きの県は、
上位3県:島根県・秋田県・愛媛県(データ元:ディグラムラボ)
以下に相性の良い又は悪い県をしめしておきますので気をつけてお付き合い下さい!
仕事相手の県別相性!
☆相性最高!
石川・島根
 ☆相性悪い!
群馬・神奈川・福井・長野・静岡・福岡・大分
 ☆相性最悪!
兵庫・香川・鹿児島・沖縄
なんと、相性の悪い県が多いのにびっくりですね。



松江市美保関青石畳通りは300年前の香りがします!

2016年04月27日 10:06   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
ここから後半をお届けします。
昼食に生ビールと日本酒をいただきご機嫌で午後の美保関町歩きの集合場所に到着です。観光ガイドさんがすでにお待ちでした。
屋台のイカ焼きの醤油のいい匂いがすでに漂っています。誰かが昼食のあとだというのに買いに行きました。ガイドさんに挨拶をして街歩きのスタートです。
はじまりは、えびす様を祀る美保神社前からです。
街歩きのテーマは、「神秘の逸話を持つ港町の歴史ロード」です。
江戸時代、北前船の寄港地で松江からの宿場町だった頃に敷かれたというこの青石畳の道には、海運業が栄えたこの地方の繁栄の影がしっかりと残されていました。
この美保神社の神門通りはわずか250mで路幅は3mみも足りないのですが、往時を想像するには十分なノスタルジックな雰囲気です。
この細い路地の両側を昔ながらの建物が囲み、荷物を運んだであろう大八車がやっとすれ違うか心配なほどです。ガタガタの石畳だとどうだったのでしょうか。一歩一歩踏みしめて歩けば、何だか当時にとタイムスリップしたかのようなスローな空気に包まれていきます。
この石畳、雨の日には、うっすらと青色に変化することから、その名が付いたと言われています。散策途中には、大正時代の佇まいが歴史を感じさせる旅館が7軒、酒屋さん、お醤油屋さん、乾物屋さんなど古き良き時代を感じさせます。与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など文豪も多く訪れた由緒正しい旅館、旧家や老舗の醤油蔵などが並んでいます。
お醤油屋さんでは、勿論お醤油もありますが、醤油味やごま醤油味やもろみ味などのアイスクリームも売っていました。また「ほしもんや」さんではいか、のどぐろ、あじなどの干し魚も人の良さそうなおかみさんが応対してくれました。
あちらこちらに見とれているうちに美保神社の鳥居につきました。ガイドさんに促されて鳥居の左側を通り、手を洗い口を濯ぎいざ本殿へと向かいます。参道の左側にはあの「八百屋お2 八百屋お七」の恋人だった吉三郎の墓がありました。江戸からお七を供養してここまで来て亡くなったといいます。
この美保神社は、出雲御三社の一つにして、各地に鎮座するえびす様の総本宮です。本殿の1つに大黒様のお妃様が祀られているため、縁結びともゆかりが深く、境内では、紅白で揃う縁結びのお守りも販売されています。大社造りの社殿が2つ並ぶ本殿は「美保造り」と呼ばれています。
また、天皇家ともゆかりがあり菊の御紋が縦に4つついていました。本殿に昇階段が二つありお二人の神様を祭っているからだそうです。普通は真ん中に一つだそうです。したがって、お参りも右側と左側と移動して背礼します。
音曲の神様で、日本最古のオルゴールが宝物殿に納めてあるそうです。また、諸手船神事(もろたふねしんじ)に使われる船も見る事が出来ました。4月7日には国譲り神話の一幕の国譲り神話を海上で再現する「青柴垣神事」には、多くの観光客が訪れたそうですが、それは地元の氏子たちが伝統を受け継いで守ってきたからだそうです。ガイドさんも氏子の一人として関わっているそうです。
近くには、島根半島の東端にある美保関灯台もありますが、今回はここで報告を終わります。



松江市美保の関の「関の五本松公園」に行ってきました!

2016年04月26日 13:22   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
昨日25日は新社会人の若者が初給料日でした。その使い道はやっぱり、お世話になった両親への感謝の気持ちの贈り物がダントツとか・・・。まだまだ、現代ッ子も日本人の魂を受け継いでいますね。ちょッと安心です。
さて、4月23日に松江市美保の関町の「関のご本松講演」にツツジを見に行った時の報告です。
島根県の三大民謡のひとつであります「関の五本松節」は、皆様もご存じの方が多いと思いますが、一節印ます。
♪ハアー、関の五本松 一本切リャ4本 あとは切られぬ夫婦松(めおとまつ)
時代は江戸時代にさかのぼりますが、かつてこの美保関港は日本海を回船する船の今風にいうところのハブ港として栄えました。
小高い山の五本松を目印に船頭さんは船の操縦をしていました。
ある日、街道を通られた松江藩主が見晴らしの邪魔になると一本の松を切ってしまいました。当時は藩主に直訴などとんでもない事でしたので、抗議の意味でこの民謡を歌い、なにげに藩主に届くようにと広めたのがこの歌詞です。
現在では当時の松は台風やマツクイムシの被害に遭い、3代目となっています。
この講演は、美保の関漁港の西の標高100~130mの小高い山にあります。数十年前にはロープウェイがあったそうですが、現在はコンクリート舗装された登山道となっています。道幅は1mもないくらいですので、すれ違うのは無理そうで、「こんにちは」と挨拶をかわして道を譲り合います。また、時折、階段があります。この階段は自然石の怪談なので幅も高さもまちまちで、ちょっと手ごわいものでした。
登山道の脇に満開のツツジがハーハーときつくなった体を癒してくれました。赤、ピンク、白など様々な色で、ひとつの花が大きいと感じました。例年だと少し早いそうですが、暖冬のせいかもう十分に咲き誇っていました。
午前10時30分より、昇事、約30分で頂上に到着しました。曇りがちの天気でしたので、眺望は霞んでいて残念ながら360度パノラマという訳にはいきませんでした。
頂上には戦没者慰霊当と小さい休憩所があり、学生さんたちが、カップめんをなぜだか食べていました。
晴れた日には、大山、弓が浜半島、隠岐の島など見えるそうです。
30分ほど休憩をしてから降り始めました。途中にお土産売り場の建物やトイレがありました。コインを入れて見る望遠鏡は故障していました。階段は降りる時の方が膝にきます。ゆっくりと30分かけて入口まで到着しました。
スニーカーで登りましたがトレッキングシューズの方をお勧めします。
予定道理に12時に昼食は予約してあった旅館でお魚三昧の料理をいただきました。茶碗蒸しにも炊き込みご飯にも海の物がはいっていて、みんなご満悦のようでした。
ちなみに、アクセスはJR松江駅より一畑バス美保関ターミナル行きで約40分、美保関行きバスに乗り換え約25分、五本松公園入口バス停下車徒歩約20分です。
G・Wが終わるまではまだツツジも咲いていると思いますので普段、運動不足の貴方にはいい汗をかくくらいのストレス解消になるでしょう!
後半に続きます。



「山菜は野菜ではない??」

2016年04月18日 14:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。春ランマンの松江市です。
さて、今日は「山菜は野菜ではない??」という話題です。
一般的には、人間が管理して育成している品種が野菜で、それ以外の自然に育成している食用に適するものが山菜でしょうか。また、食用に適さないものは雑草に大別されますね。
春の山には、生命の息吹がいっぱいです。取り立ての野草や山菜を天ぷらにしたり、おひたしにして食べるのは春の楽しみのひとつですね。
旬の食べ物?を求めて山菜取りが盛んになるのもうなづけます。私たちの体によいものですので、大いに山菜取りを楽しみたいものです。そしてうまく料理をして春を味わいましょう。
ところが、山菜は野菜ではありません。たまたまめずらしいので春の香りとして食しているだけです。多くは食べないことが無難です。もし本当にわたしたちの体によいものであれば、野菜として数百年前から食されているはずという説があります。多く食べれないため野菜になっていません。めずらしいといって多く食べないことだそうですよ。しかも生食は避けた方が懸命のようです。
言われて見ればそうですね。あのワラビやゼンマイもたくさん食べない方がいいそうです。ちょっと驚きましたね。
春の毒草はきついものが多いので気をつけて!!下さい。
山菜によく似ていて、間違えやすいものがあります。中には食べると命が危険に晒されるものがありますので、山菜採りに行く前に、しっかりと覚えておかなければいけません。
代表例としては、トリカブトです。日本に30種類以上あると言われているトリカブトですが、これはニリンソウやモミジガサによく似ていて、間違われやすいのです。キンポウゲ科の多年草で、観賞用にも栽培されていますが、山野に自生しています。舞楽に使う鳥兜に花が似ているため、この名前がついています。毒は特に根茎に多く含まれていて、体内に入ると、手足の痙攣、しびれ、呼吸麻痺に陥ります。この呼吸麻痺で命が危なくなります。
山菜採りは、気軽に行けるようで、実はそうではないのです。自分が間違って採ってきたもので、家族の体に異変が起こっては大変です。中には命の危険にさらされるものもありますので、注意が必要です。
これを機会に植物の学習を子どもさんと一緒にするのも良い課外授業になりますね。