まち歩きバリアフリー情報誌てくてく日和-山陰-42号(2023年春)が完成しました。
今回の特集は「春のおとずれ 安来さんぽ」というテーマで、春らしさを感じる安来のまちを紹介しました。
伯太のチューリップや、美しい日本庭園が魅力の足立美術館、みんな大好き安来いちごの味わい方など、情報満載です!
誌面は中国地方の道の駅、山陰の観光案内所を中心に無料配布しております。
見かけたらぜひお手に取ってご覧ください。
ダウンロード版も準備中です。アップまでしばらくお待ちください。
バックナンバーは下のホームページよりダウンロードしてください。
http://project-ui.com/social-business/barrier-free/hirori/
ハダル@矢野です。
さて、今回は、「明治維新の危機にも生き残った松江城!」という話題です。
日本全国には、約1700あったと言われる城郭も江戸時代に入ると
幕府の一国一城の命令が下され100以下になりました。
明治維新とともに新政府からの廃城令により20城となり、太平洋戦争により8城が消失し、
現存する店主は、今では12城が残るだけとなりました。
戦国時代から思いを馳せるとお城の数は1000分の1となった訳です。
当地の松江城は、江戸時代から戦災にも遭遇することもなく運が良かったと言わざるを得ません。
松江城存続の一番の危機は、明治新政府発令の「廃城令」です。
この時の逸話が残っていますので引用します。
まずは、当時の背景からです。
江戸幕府は、同ペリー率いる米国艦隊の浦賀来航をきっかけに開国をしました。
尊皇攘夷(じょうい)運動から倒幕運動へと転換していく中、親藩だったにもかかわらず、
松江藩は、大きな戦いに巻き込まれず、1867年の大政奉還を迎えました。
翌68年、松江藩に新政府への恭順の意を示させようと訪れた鎮撫使(ちんぶし)一行が藩の対応に不満を持ち、
家老の切腹、嗣子の人質などを要求する「山陰道鎮撫使事件」が起きました。
鎮撫使を務めたのは後に首相となる西園寺公望です。
藩は「勤王奉仕」の誓書を提出し、新政府に恭順の意を示しました。
この時に活躍したのが、以前に掲載しました「松江藩のジャンヌ ダルク」こと「玄丹おかよ」という女性がいました。
西園寺ら一行は、松江藩に難題を幾つも振りかけ家老切腹の危機を女の度胸と毅然とした態度で掬ったと言われています。
68年の版籍奉還後、最後の藩主である松平定安は知藩事に任命され、松江城は陸軍省の所管となりました。
71年、廃藩置県に伴い、定安は知藩事の職を解かれ、松江藩は松江県になり、松平家の統治は終わりを告げました。
日本の城郭は、明治初期、新政府の廃城令に伴い、各地で取り壊されました。
松江城天守も民間に払い下げられ解体寸前となりました。
ここで登場したのは、出雲市斐川町の豪農・勝部本右衛門栄忠(もとえもんしげただ)、景浜(かげはま)親子が
私財を投じて買い戻し、保存が決まりました。
松江城は1871年に廃城が決定。
天守は陸軍省広島鎮台の所管となり、民間に払い下げられました。
75年には入札が始まり、180円で落札が決まりました。
180円はコメの価格を基準に換算すると現在の約120万円に相当するそうです。
勝部家は松江藩政下で銅山の採掘に携わり、屈指の財力を持つ豪農として知られていました。
銅山の経営指導に当たっていた松江藩の「銅山方」だった元藩士高城権八から、
天守解体の旨を聞いた勝部親子は買い取りを決意。
落札価格と同額を広島鎮台に上納しました。
その後、勝部親子によって買い取られた天守は、修復など手を付けられることがなかったとのことです。
こんな大きな家など個人的には必要ありません。
松江城の取り壊しを取りあえず延ばしたのにすぎたかもしれませんが、
その後松江市民から声が上がり松江市の管理となり現在に至ります。
松江城の落札価格が現在の約120万円に相当するというのも少し驚きですが、
買い取り後の維持管理費を考えれば厄介者ですね。
国宝となったのも、この勝部家親子の寄付?があったからこその栄冠となった訳ですね!
ハダル@矢野です。
「食欲の春」を満喫していますか?
食物も人と同じように血液型があり、相性の良い食べ物は、免疫抗体を使わなくても体内にスーッと
取り入れられるということだそうですよ。
焼き肉の好きなあなたは、血液型はどうですか?
ここから解説をしますのでお確かめ下さい。
A型の人は、B型物質に対抗する抗体をもっています。
つまり、A型の人がB型物質を多量に含む植物や動物の肉を食べると、抗体を大量に消費することになります。
逆に同じ血液型物質を持つ食物なら、無用なエネルギーを消費することもありません。
同様に、B型の人はA型抗体を持ち、そしてO型はA型抗体とB型抗体の両方を持つ(AB型は抗体を持っていません)ので、
自分の血液型と同じ血液型物質を含む食材は、免疫学的に体に合うといえるでしょう。
A型の人に合う「A型物質を含む食材」は、 豚肉、ウナギ
B型の人に合う「B型物質を含む食材」は、 羊肉、クジラ肉、ハマグリ
O型の人に合う「O型物質を含む食材」は、 貝類、ダイコンの葉、カブの葉、エノキダケ、シイタケ、ゴボウ、
サトイモ、りんご、キャベツ
AB型の人に合う「AB型物質を含む食材」は 牛肉、馬肉、コンブ、ソバ、ブドウ
自分と同じ血液型物質を持つ食物は、人類発祥以降、長い長い年月をかけてできあがった血液型別体質に、
もっとも適した食材と言えるのかもしれません。
えっ、これってホントなの?
それにしても色々な研究をしている人がいますよね。
人の血液型の相性も実際あります。
なぜか、考え方も同じだったり、気を使わなくてもよい人は実際いますよね。
ちなみに私はO型ですが、食材としてはヘルシーです。
焼き肉は少しだけ食べることにします。
AB型が羨ましいです。
ハダル@矢野です。
今日は、久しぶりの雨ですね。
花壇の花や畑の野菜も喜んでいると思います。
今日は、家でゆっくりと過ごしてみたらどうでしょうか?
さて、春になり、色々な旬のものが育っています。
旬のものを食べると寿命が75日延びるとかいいます。
今では、スーパーで年中野菜など売っていますから、季節感が薄まっていますが、本来の旬を考えてみます。
旬のものが体に良い理由とは?
一番美味しくて栄養も豊富、体にも良いものを「旬」と言いますが、旬にも色々あります。
旬の少し前、市場に出回り始めた旬を待ちきれない「走り」。
その食材がもつ自然の美味しさが一番引き出されて市場にも出盛りの「旬」。
過ぎる旬を惜しむ「名残」。
このように分類されています。
【なぜ旬のものが良いの?】
旬とは、野菜にとって一番良い生育条件が整った環境で育てられ、最も成熟している時期です。
たとえばトマトなどの夏野菜はもともとの原産国の関係で暑さに強く、
夏の太陽をたっぷりと浴びて栄養を蓄える植物ですが、これが冬だと日差しが弱く、さらに寒くて育ちにくいです。
ほうれん草や大根などの冬野菜は寒さに強く、冬の低温の中でじっくりと太陽の光を浴びて
少しずつ栄養を蓄えていく植物です。
これが夏に育てようとすると日差しが強すぎて、栄養を蓄える前にぐんぐん育ってしまい、
栄養が十分に蓄えられていない状態になってしまいます。
旬のものと、そうでないもの(ハウス栽培などで年中出回っているもの)の栄養価は比較すると
2倍~それ以上違うという結果が出ています。
【体に良い理由】
ちょっと考えてみると、夏にはあっさりとした野菜や酸味のある果物、カリウムを豊富に含み、
体の熱を冷ます効果の高いものが旬を迎え、冬には体を温める効果の高い根菜類が旬を迎えます。
旬のものを食べることは、季節に対応した体作りをすることだったのです。
「秋ナスは嫁に食わすな」と言うことわざがありますが、「美味しいから憎たらしい嫁に食べさせるのが
もったいない。」と言う意味と、「夏野菜である茄子で体を冷やすと流産などの心配があるため」と言われています。
昔から日本人は旬のものをうまく取り入れて生活していたことが良く分かりますね。
四季がある日本だからこそ、たくさんの旬の食材に恵まれ、肌で季節を感じるだけでなく
味覚でも楽しめるのです。
最近は栽培技術が向上して旬のものが分かりにくくなってきていますが、旬のものは
たくさん出回るからこそお値段が安くなっているので積極的に取り入れていきたいです。
四季を楽しみながら、旬の味覚を楽しんでください♪
ハダル@矢野です。
みなさん!お花見は終わりましたでしょうか?
ここのところ暖かい日が続いていますが、風が少し冷たい松江市です。
今回は、「トロッコ列車のおろち号 最終シーズンです」という話題です。
今シーズンで終了するJR木次線の観光トロッコ列車「奥出雲おろち号」(定員64人)の運行が1日スタートしました。
JR西日本によりますと、おろち号は1998年に運行開始しました。
春から秋の土日祝を中心に年間150日程度運行され、2022年度は約1万5000人が乗車しました。
中でも急勾配を折り返しながら進む「3段式スイッチバック」と呼ばれる仕組みは全国的に珍しく、ファンも多いですね。
一方で車両の老朽化などを理由に、今シーズン限りで運行を終了することが決まっています。
最終シーズンの初日となった1日、出雲市駅で開かれた出発式には沿線の首長らが出席。
飯塚俊之・出雲市長は「長年、観光のシンボルだった奥出雲おろち号は、今年がラストランになる。
多くの人に盛り上げてほしい」とあいさつしました。
テープカットで運行開始を祝った後、おろち号は島充・出雲市駅長の「出発進行」の合図に合わせて出発。
線路沿いの撮影スポットでは、鉄道ファンらが最後の雄姿を収めようとカメラを向け、
出雲八代駅(奥出雲町)では、地元の子どもたちが乗客らに歌を披露。
出発する列車を住民が乗客に手を振って見送ったそうです。
JR西日本中国統括本部によりますと、5月末までは4月10~14日、同19日、
5月8~12日を除き1日1往復運行するとの事です。
今シーズンは土日祝日に加え、平日の運行日をふやすそう。
6月と7月に一部期間は特別運行となり、旅行会社などで申し込みます。
私は、今までに2回乗車しましたが、最後という事ですので、もう1回は体験しようと思っています。
季節は、夏頃がいいかなあ。
平地では、猛暑でも山は涼しい、天国のようだからなんですが・・・。
皆さんも是非、計画されたらと思います。