松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

宍道湖に浮かぶ神秘の嫁が島に上陸しました!

2015年10月20日 13:36   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
街を歩いてもサザンカのいい香りで包まれている松江市です。
18日の日曜日には、松江祭鼕行列がありどうと呼ばれる大太鼓(約直径2m)の山車が20以上もねりあるきました。この祭りが終わると秋の深まりを感じだす松江市民です。
今日は、松江のシンボルの宍道湖に唯一浮かぶ嫁が島に盲導犬ハウルと渡船で上陸した話題です。
渡船の出発位置は県立美術館横の夕日スポットとの間に岸公園です。そこには、板張りの桟橋があり、船にお客さんが一杯になると出港するというシステムです。ちなみに船は28人乗りの屋根付きのボートです。料金は大人一人往復で1000円(障害者割引は500円)でした。
この日は低気圧の影響で天候は雨時々くもりでした。雨の闇まを待って運行するとの事です。受付のテントで約30分待ちました。やっと少し晴れ間が見えてきたので出港する事になりました。
湖面は風邪も強く水は茶色に濁っています。波も荒く木の葉のように船が揺れました。少し表現が過剰でした。でも船酔いしそうな勢いでしたよ。
出港地点からは約220mですので乗ったと思ったらあっというまに嫁が島に到着です。島は南北30m、東西110m、周囲240mあり、陸地からだともっと小さいと思っていましたが案外広いようです。船を降りると、島にはテントがあり、抹茶と和菓子の接待(300円)を受ける事が出来ました。
早速、ガイドさんが島の説明を始めます。
この島は、考古学的に言うと今から1200万年前、第三紀中新世の火山活動により噴出した玄武岩でできたと伝えられているそうです。島は今は、真ったいらになっていますが岩の部分を削って松江城の築城の時に石垣として使ったようです。
『出雲国風土記』意宇郡条においては「蚊島」と表記されています。当時は周囲が約110m と今の半分ほどの大きさで、島の中央には径7~8cm ばかりの木が一本生え、礒には貝や海草が見られたとあります。
この島には1つ悲しい伝説があります。
姑にいじめられた若嫁が寒さに凍った湖上を実家に帰る途中、氷が割れて水死し、それを哀れんだ湖の神様が一夜にして島を浮かび上がらせたとのストーリーが残されています。それ以来、嫁が島と呼ばれるようになりました。
伝説とはいえ、かなりの時代錯誤になりますよね。悲しい伝説の方が日本には多いようです。
島には弁財天を祀る竹生島神社の祠(1611年に堀尾忠晴が祭った)と鳥居(1907年に琵琶湖疏水設計者の田辺朔朗が寄進)があり、周囲には松が植わっています。1935年に松江出身の総理大臣の若槻礼次郎が数本の松しかなかった島に20本の松の苗を植樹したとの事です。消波ブロックとして、如泥石(松江藩の名工・小林如泥が考案したとされる円柱形の来待石)で島の周囲が固められています。
年に数回、湖岸から張られたロープを伝って島まで渡るイベント「嫁ヶ島に歩いて渡ろう」が開かれます。湖岸から島まで220m程度しか離れていないうえ水深も最大130-140cmと浅く、子供も多く参加します。島に続く東側の湖底には、周囲より少し高くなった水中参道がありますが、江戸時代初期までは対岸の袖師に連続した玄武岩の岬があり、松江城築造に伴う石材として掘削され岬がなくなったと伝えられていることから、玄武岩の掘削跡による浅瀬である可能性もあります。
松江城創建者の堀尾吉晴が天守閣からの眺めに感動して嫁ヶ島を「湖中の一勝地なり」と評しました。それ以来松江城天守閣からの眺望を阻害するような建物は建てる事が出来ないそうです。
水郷松江のシンボルとして、文豪・小泉八雲をはじめ多くの人々に愛されてきました。
丸谷才一は嫁ヶ島越しに見る宍道湖の落日美を「純粋に審美的な風景美」と評し、山崎正和は国内でも稀な「眺めるためにだけある島」であることを指摘し、吉田兼好の言葉を借りて「田舎の人はそばに行って手で触ったり足で踏んだりしないと納得しないが、その意味において都会的センスのある島」と述べ、両者ともに松江が洗練された趣味の町である証しとして、人があまり近づかなかった当時の嫁ヶ島の在り方を高く評価したそうです。
要するに一般人はこの神聖なる嫁が島にはあんまり上陸していないのです。有名人で最近島に渡ったのは、今年の8月にはロンブーのあつしさんが海水パンツで歩いて渡った時の放送が流れました。
帰りの船では波もおさまっていました。
受付テントの近くではかに汁、鳥の空揚げ、焼きそば、どんぶり物その他飲物の屋台が出ていました。ちなみにかに汁は1杯100円でしたのでおいしくいただきました。
このころからまた雨が降り出し、風邪が寒く体が冷えてきましたので、急いでバスに乗り込みランチの会場へと向かいました。
天候には恵まれませんでしたが記念に残る体験でした。


写真を3枚添付します。
1枚は松江城の天守閣から嫁が島を見た時の写真。
2枚目は約3mの石灯篭。
3枚目は漢詩の刻まれた石碑です。


写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
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出雲松江藩の松平出羽守は道楽ものだったの?!

2015年10月06日 14:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
ここのところお天気続きのこちら松江市です。暑くもなく寒くもなく食欲をそそる季節となりました。
水の都松江市では10月は特に舟遊び(?)が多いようです。
松江城お堀を巡る遊覧船を始めとして宍道湖と中海を繋ぐ大橋川に渡船や遊覧船が期間限定で走り回っています。
また、松江祭鼕行列は、10月の第3日曜日に、松江神社の例大祭に合わせ松江の開府を祝う祭として行われています。
毎晩のように「ドン ドン ドン」と各町内から大きな太鼓を打ち鳴らす音が聞こえています。子供から大人まで集まって練習をしているのです。松江市民はこの音で秋がだんだん深まるのを感じます。
運がいいと飛び入りで太鼓を打たせてもらえるかもしれませんよ。
さて、前置きが長くなりましたが、今回は出雲松江藩の松平出羽守はちょこちょこ落語に登場しています。という話題です。
しかも登場の時代を考えるとどうも松江藩7代藩主の春里(不舞公)のようです。財政難の藩を引き継ぎましたが家老2人に命じて10年で赤字の藩の財政を黒字に転じました。その上内部留保も相当残ったようです。藩が豊かになったというと幕府から新田開発やら治水事業などを命じてお金を使わせたようです。このお殿様は名君だったのかバカ殿さまだったのかよくわからないところがあります。一説によると財産を茶器や工芸品に変えたのだといいます。ここのあたりから落語に登場したのかもしれませんね。
例えば「猫餅」です。参勤交代の時に評判が聞き及びました。
近くに住む喜作という若い百姓が客を引くようにと、招き猫を彫ってくれたので、銭箱の上に載せておいたが、その猫は鼠に鼻を齧られてしまった」というのだ。
これを聞いた旅人はその猫を直して、〈いただき猫〉と名付けた。その猫の手のひらに餅代をのせると、ニャーと鳴いて手のひらを返して銭を箱の中に落すのだ。旅人は名も告げずに店を出て行った。
このいただき猫が評判となり、月之屋は繁盛し出した。参勤交代で道中をしている雲州松江の城主、松平出羽守の耳に入り、「余も猫餅を食したいのぅ。いただき猫に勘定を払いたいのぅ」とやってきた。猫餅を食し、いただき猫に勘定を払い、その鑿の跡を見て「この作者は飛騨高山の左甚五郎利勝に相違あるまい」と看破し、ばあさ
      ん、喜作ともどもに褒美金をやった。
そんなことから、店はまた評判を呼んだ。
他にも飛騨高山の左甚五郎利勝にマツワル話がいくつかあります。300~500両を支払ったと言われています。
また、「火炎太鼓」です。これも参勤交代でたまたま通りがかった時の事です。
あらすじは確かこのようだったと思います。
この日、甚兵衛が仕入れてきたのは、古く汚い太鼓であった。あまりにも汚いので、丁稚の定吉に店先でハタキをかけさせていると、定吉が手を滑らせて音を鳴らしてしまう。
たちまち、一人の侍が店に飛び込んで来た。大名が駕籠で近くを通っていたようで、太鼓の音が大名の癪に障ったのかと、甚兵衛たちは戦々恐々である。
ところが、侍の話では「通りかかった主君の赤井御門守様(雲州松平家)が、太鼓の音をえらく気に入り、ぜひ実物を見てみたいから屋敷まで太鼓を持って来て欲しい」という。
甚兵衛は喜ぶが、妻は「こんな汚い太鼓が売れるのか」と不審を抱く。「どうせそんな太鼓はほかに売れっこないんだから、元値の一分で売り払ってしまえ」とまで言い放つ。
甚兵衛が屋敷に太鼓を持参し、殿様に見せると、たちまち売約が成立する。殿様によれば、自分は目利きであり、この太鼓は国宝級の価値ある名品「火焔太鼓」だという。なんと三百両で買うという。甚兵衛は、腰を抜かし、出された金を百五十両まで数えたところで泣きだす始末。
話が長くなりましたのでまたの機会に続きます。



秋の松江は夜も良さそうですよ!

2015年10月02日 11:22   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
昨晩は寒冷前線の通過で大雨暴風の松江でしたが明けるとやや雲は多いものの午後には秋晴れとなる天気予想です。
松江城の国宝指定により各種イベントも何かと増設されるようです。
10月1日からは、松江城や嫁が島のライトアップや塩見縄手の武家屋敷周辺の「松江水灯路」がも始まりました。
松江城天守閣への登城時間も通常よりも4時間遅く21時までとなりました。
「水灯路」ってご存じない方に少し説明をします。
ここからは、引用です。
一言で言うと、秋の城下町を行灯(あんどん)の光で彩るイベントです。10月1~31日、島根県松江市殿町など松江城周辺で開催されます。約1千個の行灯が城内をライトアップし、土曜、日曜、祝日の夜は塩見縄手にも行灯を設置し、過去最多の計1500個を点灯されます。毎年好評な堀川遊覧船の夜間運航など、多彩な催しを展開します。
開催は各日とも午後6~同9時です。周辺に手作り行灯コンテストの出品作や、アーティストたちが手掛けた行灯を並べられます。
メーン開催日と位置付ける10日間の土日祝日は、塩見縄手で、800メートル区間を車両通行止めにし、行灯400個を設置。遊覧船とともに、堀川の水面を幻想的な光で彩ります。1日午後6時にオープニング、3日午後6時前に点灯式があるほか、期間中は城内外で、音楽ライブや屋台、カフェの開設などを予定しているそうです。
問い合わせは松江観光協会で電話0852(27)5843です。
是非、夜の松江を満喫しに来松して下さい。お待ちしています。


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秋のお月見は旧暦9月13日もしないと片手落ちなの?!

2015年09月29日 14:26   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
今年は仲秋の名月は9月27日でした。満月は翌日の28日だったようですね。
全国的には良いお天気でしたのでご覧になった方も多いと思います。
こちら松江市にもお月見の名所があったのです。地元の松江市民でもあんまり知っている人は少ないかもしれません。それは、宍道湖の北岸にあります満願寺です。南側にはすぐに宍道湖があり向こう岸には玉造温泉のほぼ正面に当たります。周りにはどちらを向いても田園風景で少し小高い山の上に位置しています。中世には山城があったようです。
今は空を見上げてお月見をしますが昔は直にお月さまを見る事よりも行けや海など水に映る月とセットになる場所が名所となったようですね。
これは、平安時代から貴族の間で詩歌が読まれだした事や風流を愛した日本人に行きつくところが大のようです。
全国的にみても宮城県の松島、高知県の桂浜、京都の渡月橋などは顕著にみられる傾向ですね。
ところで、お月見の日は旧暦の8月15日が有名ですね。これは中国から遣唐使が伝えたものと言われています。日本独自の風習は、9月13日のようです。
十五夜から約1か月後に巡ってくる十三夜は、十五夜に次いで美しい月だといわれ、昔から大切にされていました。長野県安曇郡その他で小麦の名月といって,この夜の天気によって,翌年の農作の豊凶を占う風習があります。
ここでお月見のマナーというか仕方を少し調べて見ましたのでご紹介します。
まず、月から見える位置にお供えを用意します。十五夜だけでなく十三夜もお月見をします。健康と幸せを願う月見団子は家族で頂きます。
十五夜または十三夜のどちらか一方のお月見しかしないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いといわれています。                   また、十三夜には栗や枝豆を供えることから「栗名月」「豆名月」ともいいます。
では、十三夜の由来はどうなんでしょうか?
月を観賞する風習と豊作祈願や収穫感謝の祭事が合わさって広まったものと考えられます。古来より月と太陽は陰と陽の象徴であり、月はお陰さまの心に通じると考えられてきました。収穫物は生きる糧ですから、支えてくださる物事や力添えに対し、お月見をしながら感謝をします。
では、正式な十三夜のお供えものは
★月見団子
                  十三夜にちなんで13個お供えします。
                  ★秋の農作物や果物
                  この時期に収穫を迎える栗や豆類などをお供えします。
                  ★ススキや秋の七草
                  本数に決まりはなく、すべてを揃える必要はないようですが、ちょっとだけでもお供え物のちかくに飾ってみましょう。
お供え物の中にお酒はないようです。少し不思議な気もしないでもありませんね。
それでは、十三夜も良いお月見が出来ますようにお祈りします。



「シルバーウイーク」は認知される?!

2015年09月18日 13:49   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
まだ9月中旬だというのに、今秋は早足でやって来たのでしょうか。秋が長ければそれだけ過ごしやすくまた外へ出かけてみようと思う気分になります。
最近になり9月の連休を「シルバーウイーク」などと呼んでいる方が多いですね。
マスコミに踊らされているだけなの?それは、今年だけの事でしょうか。
2001年までは9月15日が「敬老の日」として国民の休日となっていました。
2002年からはハッピーマンデー制度により敬老の日が9月第3月曜日となりました。
この時期を「シルバーウィーク」と呼称するのは「ゴールデンウィーク」に類似する要素があることは、簡単に想像出来ます。テレビやインターネットなどで報道され、国内外ツアーを企画する旅行代理店などがこの言葉を使い始め一気に定着した模様です。
何はともあれ、お休みが多いのは良い事ですね。
問題は秋分の日が何日になるかがポイントのようです。9月21日~24日の間になるようです。次の「シルバーウイーク」の5連休は2026年その次は2037年となるようです。行楽週間という意味より敬老週間と理解すればよいのかもしれませんね。
こちら松江では、すでに行楽シーズンに突入した模様で、松江城を中心とした観光施設は多くの観光客の姿が見られます。
秋の松江は夜がいいようですよ。松江城や宍道湖に浮かぶ嫁が島のライトアップや水灯路で武家屋敷のある塩見縄手など風情を感じて下さい。
また、夜間運行の堀川遊覧船も昼間と違うロマンチックな気持ちにもなる事でしょう。その後は、ゆっくりと温泉につかり松江の銘酒を飲んで・・・。寿命が一層のびる気がします。
是非、秋の松江にいらしてください。