ハウル@矢野です。
秋本番となりましたが、あなたは、「食欲の秋」、「スポーツの秋」、[読書の秋」など何の秋でしょうか。何をするのにもとっても良い季節ですね。
秋は、木本にさまざまな果実が実り、ヒトも動物も当然ながら食は進むといったところでしょうか。
今回は、意外や意外、バラ科の植物は、植物の世界ではとっても幅を利かせている話題です。
バラの季節といえば、5月から6月ですね。最近では、四季咲きも増えています。花の世界でも季節感が薄れて来ています。
園芸の専門家の方に聞けば一度咲きが本来であり花も大きく色鮮やかだということです。やっぱり「旬」はありますね。
また、つるバラの栽培に精をだしている方も多いと聞きます。
さて、今回は、バラ科の植物や果実は今まで思いもよらなく多いということに気が付きましたので紹介します。
バラといえば花は赤く茎はあの痛いとげのある植物ですね。ところが、とげのない木にもバラ科が数多く存在しています。
バラ科の植物は実に多彩です。「えっ!?これもバラの仲間なの?」っていう感じで、園芸や切り花で見かけるバラとはかなり違ったものがあり、今までもっていた印象を受けます。
世界には、北半球を中心に、ほぼ世界中に分布しています。草・木、合わせて約126属3400種もあります。日本にも沢山のバラ科の草木が存在する訳ですね。
私が最初にえっ!と思ったのはヤマザクラです。バラとサクラはどう見ても似つかないところですが、基本形花弁とがくの数が各々5枚であることからは、草本と木本の違いはあれ花の数は大きさの違いはあれ同じです。
もしかして梅も桜に似ているのでそうかと思って調べるとやっぱりバラ科です。
吾亦紅あたりになると想像すら出来ませんね。花みたいに見えるのは第一花ではありませんから...。
サクラ、ウメ、モモなど日本で古くから親しまれている花木類、また、イチゴ、リンゴ、ビワ、梨、サクランボ、杏、かりんなど果実、アーモンドなど種子が食用であるものも多くどれも似た感じの柑橘類と比較すれば色も形もバラエィに富んでいます。
これら全然違うフルーツなのに全部「バラ科」になってしまうのは不思議としか言えませんね。
フルーツバスケットに「バラ科」限定で盛り合わせても形や大きさや色どりもさまざまで、結構見栄えのする「フルーツのセット」が出来あがります。
また、最近では、困ったことに果物・野菜の過敏症を訴える人が増えているといいます。
例えば、桜の花の花粉症の人は、リンゴや梨などの同じバラ科の果実で反応するということです。
アレルギーは、免疫性と考えられますが、同じグループにどんな果実や野菜が属しているのかも考慮しなければならないなんて住みにくい世の中?になったものです。
アレルギーや花粉症には縁のない私は、せいぜい「食欲の秋」を満喫することにします。
ハウル@矢野です。すすきの穂が風で散る季節ともなれば何気なくモノさみしいものです。
日本の湖に浮かぶ有人島が松江市に二つ存在するという紹介です。
日本の湖に浮かぶ有人島は、中海の大根島(だいこんしま)、江島(えしま)と琵琶湖の沖島の三つです。
中海は、島根県東部と鳥取県西部に接している日本で7番目に大きい汽水湖です。
最近では、急勾配で有名になった江島大橋のべた踏み坂でご存じの方も多いのではないかと思います。
この二つの島は、大山の繰り返される噴火により溶岩が隆起し、その上に火山灰が降り積り形成されているそうです。約12~30万年前のことです。
大根島は、かつては、長い間は、朝廷の牧場として使われていました。
その後、島の火山灰土質が高麗人蔘と牡丹の栽培に適していることにより、松江藩では、特産品として奨励し江戸時代より栽培が盛んになりました。
今でも松江市内には、人参方という役所跡があり、特別な品だったことがわかります。
また、島の名前の由来は、松江藩が朝鮮人参を栽培していたことにより、超高級品であるが故、その存在はトップシークレットであり、栽培場所等は極秘となっていたと推測されます。
松江藩は島で大根を栽培しているとの情報操作を行い、後に大根(だいこ・方言)が多い島、大根島(だいこじま)と呼ばれ始め、そのままの呼称が今日まで続いているという説です。
本来はタコが降ってきた島、蛸島でした。 お隣の江島はむかで島と呼ばれていました。
もうひとつの特産品の牡丹です。土質が適しているのはもとよりですが、高麗人参は収穫するのにも7年かかるということです。また、その後10年は栽培出来ないのです。その間の畑を牡丹栽培としたという訳です。牡丹は農家の方が全国に行商し、販売されていました。
現在では、ヨーロッパにも輸出されています。
高麗人参と牡丹は切っても切れない関係があったという訳です。
ちなみに、島根県の花は、この牡丹です。
二つの島は、昭和40年から始まった中海干拓事業により淡水化が行われて松江市と地続きになりました。
以前は合同汽船という連絡船で結ばれていました。
毎年4月待つから5月にかけての牡丹の花の開花時期には、島が少し沈まんばかりに観光客が訪れています。
ボタン園では、日本庭園や溶岩ドームなどで四季を通しての観光客の誘致をはかっています。
島の生い立ちを知っての観光は、より感慨深いものとなるのではないでしょうか。
次回は、日本庭園と牡丹の由志園のレポートをお送りします。
ハウル@矢野です。すでに、北海道では、初冠雪を観測したり、ここのところの朝晩
と昼間の温度差により早くも紅葉のニュースが飛び込んで来ます。
私たちの住む、日本列島は火山の噴火によってできた長い島国です。
つまり日本の国土はすべて山なのです。
沿岸部の平野は山から流れた土砂が堆積してできた山の裾野というわけなのです。
当然のごとく山に降った水が流れる川が多くなります。何と約3万の川があります。
日本は、海の国であり、山の国であるので、したがって水の国となります。
四季を通じて雨も多いのが日本の気候です。しかし、反面土砂・水害も多く地震の国
でもあり災害の多い国でもあります。
さて、どこの家でも水道の蛇口を捻ればすぐに飲める水が出るのは、世界では、珍し
いのです。水が豊富にあることは、衛生環境も良くしています。トイレなどは殆どが
水洗トイレです。もちろん、下水道も進んでいます。
世界的に見ても水が枯渇しないだろうと言われている国は、北欧のアイスランド、ノルウエー、フィンランド、北アメリカのカナダ、南アメリカのブラジルと我が国、日本くらいだそうです。
海外旅行をするとまず飲料水のことを添乗員さんからどこの国へ行っても聞かされま
すね。ミネラルウオーター以外はまず飲むことは出来ません。
なんて水のストレスがないことが幸せなのかを感じなければなりません。
そんな水ですが、私の住まいする松江市は、「水の都」です。松江市民のシンボルの
宍道湖をはじめとして、堀川が市内のあらゆるところに張り巡らされています。
しとしとと降る雨が似合う街でもあります。
松江市水道局製造の水が今年発売されました。名前は、「松江 縁の水」といいます。市内のコンビニ・旅館・ホテルなどもちろん水道局でも販売されています。縁結びの国、
出雲で「縁の水」で縁結び効果が増すこと疑う余地はありません。
是非、一度ご試飲いただき良縁に出会いますようにお祈りいたします。 合掌
ハウル@矢野です。仲秋のお月見も今年はビッグムーンと重なり、一層の風情を感じた人も多いことでしょう。
今回は、日本人の闇(夜)にどのような感じ方をしていたのかというお話です。
そもそも、日本人は、昼間より夜に趣を感じていたようです。
枕草子は、平安時代に書かれた清少納言の随筆ですが、顕著に知ることが出来ます。春はあけぼの(夜明け)、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)が風情があると言っています。
序章では、少なくとも昼間の趣には触れていません。
昔から月の光を愛でます。昼は働き夜は寝るという生活が長い間続いて来たのです。
神社の燈明はともかく、庶民にとって灯火することは、高価であり一般的でなかったようです。
平安時代から動物や魚の脂を灯りとしていた人は極稀です。しかも臭いという欠点がありました。なにしろ江戸時代には菜種油になりましたが、お米の約4倍もするのです。
明るさというと現代の60ワットの電球の50分の1程度、行燈などはもっと暗くなります。
お祭りなどでは、松明、篝火また家内では、いろり火っていったところです。
いろり火は明るさを確保するのではなくもっぱら調理に使いました。
それもそのはず、昼と夜の時間が同じならまだしも秋から冬などは、夜の時間が長くなります。 この長い闇の時間の過ごし方を考えるのは当然でしょう。
日本の文化は「闇と慣れ親しんできた文化」であるという人がいます。富士山の夜の講中登山、蛍狩り、夜桜見物、さらに虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなど、かつて多くの日本人は、闇歩きの達人だったと言います。
また、視覚以外の感覚をフル回転して食事をしたりする日常生活体験が出来る施設もあるそうです。
視覚障がい者のエスコートを受けながら、いつもとは逆のパターンですね。
現代の電気がなくては暮らせない私たちにとってある意味新鮮に受け止めれば何か新発見出来、視覚でほとんどの情報を取得している現代人にとって一度は、体験してみるのもいいのではないでしょうか。
ハウル@矢野です。
晩夏から初秋に移り秋に変わり、秋の夜長をビッグムーンの仲秋の名月見物を楽しんだり、また、虫の音の語
らいが日々増す季節です。セミくんから秋の虫さんたちにすっかりバトンタッチした
感のあるこちら松江市です。
今日は、四季の色のお話です。
季節に色があるなんて「そんなことあったの?」という方がおおいのではないでしょ
うか。季節により色を感じ方は人それぞれで国によって違うのは、当然ですね。
四季のある日本ならではの話題です。
古代中国の五行説では、青・朱・白・黒を配し、青春・朱夏・白秋・黒冬としてい
ます。
春の青くらいは、思いつく人もおおいのではないでしょうか。「青春」が代表されま
す。青は、若いというイメージで(青」のつく言葉は多く見受けられます。「青い山脈」
「青いリンゴ」「青春時代」など歌にもあります。また、未熟者を表してもいます。
「青二才」などは、まだ、大人になりきっていないという意味で使われています。
ところで、あとの三色を思いつく日とはぐっと少なくなります。
夏の色は朱(赤)で、朱夏といいます。確かに、日本の子供たちが太陽を描くクレオンの
色は「赤」です。ちなみに欧州では「黄」です。また、夏の「赤」はトマト、スイカ、彼岸花などでしょうか。
秋は、「北原白秋」の白い秋は何とかたどりつきます。連想するのは、雲の色です。
夏の入道雲は灰色だし、冬の雲は、黒に近いイメージです。秋雲の色は、白いすじ雲
でしょうか。花では、白菊も思い浮かびます。やはり、「しろ」は雪の色が一番に思
いつきます。
最後の冬の色「黒」が問題です。黒冬または玄冬というそうですが、私には初耳です
。昼間の明るい時間が少なく、暗い闇の時間が多いということでしょうか。前述の雲の色なのでしょうか。
みなさまは、どのように感じられるのでしょうか。
四季の色は、何かの代表する物で表現するものではないようです。
いずれにしても、四季のあるわが国日本で暮らしているからこそ多様な感性が持てる
ことに感謝することにします。