松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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★松江藩(松平家)の藩主の暮らし(後編)

2014年12月15日 14:06   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハウル@矢野です。
「松江藩(松平家)の藩主の暮らし」の後篇です。
「真那箸(まなばし)」を使って食材に手を触れず調理をすると説明をしました。
平成のこの世に江戸時代当時の料理の再現し、神社に奉納している人がいます。
奉納する神社は、松江市にあります玉造湯神社です。
この神社は、玉造温泉の守護神ですが、最近は、それより「願い石・叶い石」の縁結びスポットとしての方が有名かもしれません。
この神社の例大祭に地元玉造料理人協会の会長さんが、3年前に山陰流の秘儀(?)を関西の料理人から教授されたそうです。
山蔭流式包丁は、平安時代から室町時代にかけて、武家が格式ある客人をもてなす際に、魚などをさばく姿を披露したのが始まりです。
この日、烏帽子(えぼし)、狩衣(かりぎぬ)姿の会長が約40センチの包丁と箸を、雅楽に合わせて舞うように振るい、約50センチのタイを三枚に下ろしました。
例大祭にこの地を訪れるとこのパフォーマンスにお目にかかれるかもしれません。
話を元に戻します。
殿様の生活の実態はどうだったのでしょうか。食事だけでなく生活全般に様々なしきたりがあったそうで、着替えからトイレ、入浴なども家来任せ、風呂の湯が熱くても係の風呂坊主には口をきけないので「おお、熱い」と独り言をいうと、それを聞いた坊主がお小姓に伝える、殿様にそれを確認してから坊主にうめる指示をするのだとか。
身分の違いで、直接口を聞こうものなら打ち首にもなろうという時代です。
お殿様もいちいち面倒くさいですね。
また、松江藩では、財政が当初は、赤字続きであり、前述のような豪華版の料理は、藩財政を改革して、黒字化してからの事と思います。
不昧(ふまい)と号した7代・松平治郷は特に有名な藩主です。
ご存じの通り、作動の号です。作動の関連のお茶はもとより、茶器などの陶芸も奨励しています。
武芸にも堪能で、松江藩の御流儀である不伝流居相(居合)を極め、不伝流に新たな工夫を加えたとも言われます。少し意外な気がしますね。
金魚を愛し、部屋の天井に硝子を張って肱枕で金魚を眺めた、金魚の色変わりについて藩士をわざわざ、他国に派遣してその秘法を会得させた、などとも伝えられています。
松江藩で開発された、金魚の出雲なんきんがこの金魚と思われます。
また、鷹狩もお好きだったようで、獲物になる鴨類の飼育場所まであり、勝手に狩猟などしようももなら大変な事です。
今でいう禁漁区です。殿様の鷹狩には、飼育した鴨をはなすのですから、狩りも出来ますよね。
このように、趣味も多彩で、武芸にも長けていたり、財政も立て直したと言われればやっぱり後世に名を残すお殿様です。