松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

節分に豆まきが不要な人や「鬼は外」と言ってはいけない人がいるってホント?

2024年02月08日 11:48   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
年が明け、もう2月です。
暦の上では、もうすぐ春となります。
早いものですね。

そもそも、節分に豆まきをして鬼を払う理由とは?
昔は、春が新年の象徴だったため、立春前日の「節分」には年の分かれ目という意味があります。
この年の分かれ目には、邪気が入りやすいと考えられていました。
「邪気」とは、人の力の及ばない災害や病などを引き起こす邪悪な気のことで、その象徴が「鬼」です。
ルーツは平安時代に宮中で大晦日に行われていた疫鬼や疫神を払う儀式「追儺(ついな)」「鬼やらい」です。
当初は桃の弓と葦(アシ)の矢で鬼を追い払っていましたが、室町時代に豆をまいて行うようになりました。

豆まきをしなくてもいいといわれているのは、「渡辺」さんと「坂田」さんです。
その由来のひとつが「大江山鬼退治」の伝説です。平安時代、京都の大江山を拠点と
する鬼・酒呑童子(しゅてんどうじ)が、多くの鬼を従えて都を荒らしまわっていま
した。そこで、源頼光が「頼光四天王」(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)を連れて鬼退治に行き、
見事に酒呑童子を仕留めます。
頼光四天王の筆頭で、剛勇で知られるのが渡辺綱(わたなべのつな)。
後日、酒呑童子の手下の鬼たちが、渡辺綱らに敵討ちをしようとしましたが、
返り討ちにあい腕を切り落とされてしまいました。
それ以来、鬼たちは渡辺一門を恐れるようになり、渡辺姓の子孫にも近づかなくなったといわれています。
渡辺綱はワタナベ姓の祖といわれているため、漢字に関わらず「ワタナベさんには鬼が近づかないので
豆まきをしなくてもいい」といわれるようになりました。

また、同じく頼光四天王のひとり坂田金時には、鬼退治をはじめ数々の武勇伝があり、
渡辺さん同様「坂田さんには鬼が近づかないので豆まきをしなくてもいい」という説があるそうです。
坂田金時は幼名を「金太郎」といい、足柄山で育った怪童・金太郎として伝説化されています。

「鬼は外」はタブーなケースがあります。
鬼怒川温泉のふれあい橋です。
鬼怒川温泉は、邪気を払って開運をもたらす鬼がたくさんいる地とされているため「鬼も内」というそうです。

また、名字に「鬼」のつく家では、「福は内」だけです。
鬼塚さん、鬼頭さん、鬼沢さん、九鬼さんなど名字に「鬼」のつく家は「鬼は外」というと、
自分たちを追い出してしまうことになります。
そのため「鬼は内」「鬼も内」など、「鬼は外」以外の口上が多いそうです。

また、こういった事もあります。
古くから続く商家商家では、「鬼」は「大荷(おに)」に通じるため、大きな荷物が内(家・お店)に入らないと
商売繁盛につながらないからと、「鬼は内」というところが多いようです。

鬼にゆかりのある地域や、鬼を祀っている社寺も同様のようです。
大事な鬼を追い出してはいけないため、「鬼は外」とは言わず「福は内」だけだったり、
「鬼は内」「鬼も内」と言ったりします。

みなさんのお家では、どうですか?
もっとも、豆まきをしない家も増えてきています。
落花生だったりお菓子だったりと時代が変われば品も変わるという事なんでしょうか!



第17代 堀尾吉晴公松江武者行列 開催決定

2024年02月05日 15:43   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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2024年4月6日(土曜日)、「第17代 堀尾吉晴公松江武者行列」が開催されます。

松江開府の祖・堀尾吉晴公と初代松江藩主・忠氏公、それに堀尾衆一行が、
400年のときを超えて松江城に入城する様子を再現した絢爛豪華な時代絵巻です。

詳細は下のホームページをご覧ください。
https://www.musha-gyoretsu.jp/

お問い合わせ先
一般社団法人 松江観光協会
所在地 〒 690-0874 島根県松江市中原町 19 番地
電話 0852-27-5843

プロジェクトゆうあいは、松江武者行列に協力しております。



「矢切りの渡し」ではなく「矢田の渡し(やだのわたし)」は風土記の風景?!

2024年01月22日 13:22   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
能登半島地震は、多くの方を苦しめています。
真冬で、寒いし、上下水や電気も不通状態の中での避難生活に心よりお見舞い申し上げます。


今回は、「矢切りの渡し」ではなく「矢田の渡し(やだのわたし)」は風土記の風景?!という話題です。
水の都松江市は、宍道湖と中海を結ぶ大橋川で南北に分断されています。
現在は、6本の橋が架かり、「矢田の渡しもご多分に洩れず廃船の聞きにあります。
この渡しは、南岸の松江市矢田町と同市朝酌町とを結んでいます。
古代は、橋もなく、渡し船が唯一の交通手段であったと考えられます。
時代劇でよくあるシーンの「おーい!船が出るぞー!」で出港していたに違いないでしょうね。
渡しの距離は、120mで所要時間は約1分です。
平成10年までは、軽乗用車が1台乗れる日本一小さいカーフェリーでした。
また、高校生が自転車と乗船している様子をよく見かけたものです。
橋が4本5本と増えるたびに利用客は当然に減少していきました。
現在は、矢田渡船観光事業組合が松江市から補助金を受けて運航しています。
船は左岸(北側)に待機していて、右岸(南側)からの利用者は、渡し場にある赤色の回転灯を点けて
対岸の渡し船を呼ぶ仕組になっています。
運賃は、人は40円、自転車は50円で定員は28人です。
さて、出雲国風土記が編さんされた733年当時、現在の松江市中心部には入り海が広がり、
大橋川を挟んで南北の両岸が最も近かった場所が、松江市朝酌の南側一帯でした。
島根郡朝酌郷(しまねのこおりあさくみのさと)といい、
川の南側に意宇(おう)平野と出雲国府がありました。
北側の島根半島には隠岐への航路の起点となる千酌駅(ちくみのうまや)があり、
朝酌が国府から隠伎国に至る交通の要衝に位置したことが分かります。
川を渡る地を出雲国風土記は「朝酌の促戸の渡(わたり)」と記しています。
促戸は瀬戸で、海峡の狭まった所という意味です。
船が用いられ、朝酌町と対岸の矢田町の間で船が往来する「矢田の渡し」が古代の名残をとどめています。
出雲大社に隣接している島根県立古代出雲歴史博物館には、1300年前に編纂の出雲国風土記に記された、
朝酌の促戸の渡一帯の様子を活写しています。
「浜辺は人々で騒がしく、家々もにぎわって売り買いの人が近在から集まり、自然に市場を成しています」。

朝酌の市場を模型で再現したコーナーには、タケノコやカブなどの野菜を売る女、
右手に掲げたスズキを売りさばこうと威勢良く声を出す男。
アワビやシジミといった日本海と汽水湖双方の恵みや、鉄の鎌、薬草などもあり、
現在に通じるような市場のにぎわいと人々の暮らしぶりが一目で理解できます。
歴史好きの筆者には、古代の反映が目に浮かんできます。
また、新しい渡し船は、「矢田の渡し号」と命名され、朝の渡し以外の時間には
大橋川の観光遊覧船として運行しています。

遊覧のご希望の方は、下記までお問い合わせ下さい。
松江市朝酌公民館
〒690-0834 松江市朝酌町92-1
TEL:0852(39)0646  FAX:0852(39)0690
[運営] 矢田渡船観光事業組合



島根のお雑煮はどんな味かご存じですか!?

2024年01月09日 15:33   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
今年になり始めての投稿になります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

辰年は、大事件が起きる年だという事です。
それにしても、元旦、2日と連続で、大事件が発生しました。
地震は、いつどこで発災するかわからないと言いますが、ビックリしました。
松江市でも震度3、津波注意報でした。
被害にあわれた方また、怪我された方にお見舞いをまた、お亡くなりになられた方には、謹んでお悔やみを申し上げます。


さて、気を取り直して、お正月も7日を過ぎて七草がゆをいただかれた方も多いのではないかと思います。
最近では、スーパーには、一袋にセットされていますので、簡単に食べる事ができますね。
今回は、七草がゆの話題ではなく、島根のお雑煮の紹介です。
お雑煮ほど、地域の特色が出るお料理はないですね。
島根県も東西に長いですから、細かく言うと多彩な具が入るようです。
共通なのは、平たい丸餅くらいでしょうか。
こちらは、出雲地方ですが、石見地方では、ブリ、アユ、ハマグリ、黒豆など、地域によりお雑煮の主役はいろいろです。
全国のお雑煮には、味噌味(白みそ、赤みそ)だったり、小豆汁だったりです。
お餅は、角餅だったり、焼いて入れてみたり、様々です。
具材も、たくさん野菜をぶち込んであったり、シャケやら、ブリやらが入ったりと本当に様々ですね。
我が出雲地方のお雑煮は、全国一シンプルと言ってもいいと思うほど何も入れません。
かつお節で出汁をとった醤油味のお汁に丸餅を入れ、市販のもち海苔をほぐして浮かべるだけです。
え?それだけ!?と思われるでしょうが、このもち海苔が白いお餅と絡んでとてもシンプルで美味なのです。
この海苔のグレードで、味わいが天ト地ほど違ってくるのです。
出雲市平田地区は十六島(うっぷるい)産の特上「十六島海苔(うっぷるいのり)」(3000円/80g?)があれば、
最高級なお雑煮となります。
「十六島海苔(うっぷるいのり)」は江戸時代から珍重されてきた極上最高級の岩海苔で、
この海苔は、12月から1月の限られた期間に、冬の荒れ狂う日本海の足場の悪い岩場で
一枚一枚摘み取られるのです。
日本酒で軽くほぐしてから雑煮に浮かべればふわりと広がる磯の香り、1本1本の繊維がしっかりと絡み合う歯応えは
一般のもち海苔とは比較になりません。
そして、2日には、小豆雑煮をいただきます。
出雲地方でも、松江市や出雲市平田地区のあたりでは小豆雑煮を食べます。
今では甘いぜんざいの家が多いですが、本来の小豆雑煮は甘くないものなのです。
柔らかくゆでた餅を塩味のすまし汁に入れて煮小豆をのせ、かつては「ハレ」の日の
貴重なごちそうであった砂糖をその上にかけて食べるのです。
まるで、おしるこのお雑煮なのです。
私は、少しおせち料理と餅の食べ過ぎで体重が増加しましたので、ダイエットに励む事にします!




「冬はつとめて」といったのは昔の冬でしょうか?!   

2023年12月19日 10:52   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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 ハダル@矢野です。
「おー、さむッ。」それはそのはずです。
大雪の最中です。
今しばらく、立春までお待ちくださいませ。 
しかし、まだ、12月です。
これから、もっと寒くなるんですよね。
・・・。
我が家では、昨日、とうとうファンヒーターを出しました。
エアコンの風では、空気が乾燥するばかりで、やっぱり火は暖かいですね! 
清少納言は、「枕草子」で冬と言えば早朝?と書いています。 
「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず・・・。」 
続いて現代語訳では、 
「冬は早朝。雪が降っているのはいうまでもない。」 
冬と言えば雪ですが、それは最早いうまでもないのです。 
雪が降るのは当たり前の日本の冬の情景なのです。
私は雪が木の枝や山に積もっている所や屋根から氷柱つららが垂れている所とかが好きなのですが、
そんなのが綺麗なのは誰もが知っていることですね。
因みに、木の枝などから滑り落ちてくる雪の事を「垂雪しずりゆき」といい、
木の枝などに積もった雪が落ちることを「垂しずり」というそうです。
これも、日本人ならではの繊細な表現ですね。
日本人に生まれてよかったです。 
冬の早朝にふさわしいとして炭火を持って行き来する様子をあげていますが、
現代ではその様子を想像することしかできませんね。 
きっと宮中で生活していた清少納言はお付きの人が火を部屋まで持って来てくれる様子や、
他の人の付き人が火を急いで運んでいるのを部屋から見ていたのでしょうね。
朝早くから寒い廊下をバタバタと火を運ぶ人たちが行き来するのを見て「冬が来たなぁ」としみじみ思うのは、
恐らく運んでもらう側だけではなく運ぶ側も同じことだったのでしょう。 
当時の暖房器具は、農家であれば「爐」、宮中など貴族の屋敷では「火鉢」くらいしかなかったのでしょうね。
現代の日本では暖冬で、当時より数度は寒かったに違いありません。
でも、日本家屋は「夏をもって旨と那須」ですから風通しのいいのを重んじています。
寒いのは着物を重ね着すれば、凌げるが暑い方が辛かったのでしょうね。
今はスイッチひとつで暑いも寒いも凌げますので、現代に生まれてよかったですね。