ハダル@矢野です。
11月も終わろうとしていますが、春のような陽光のふりそそぐ松江市です。
突然に冬将軍が来るのでしょうか?
さて、今回は、「明治維新の危機にも生き残った松江城!」という話題です。
日本全国には、約1700あったと言われる城郭も江戸時代に入ると、
幕府の一国一城の命令が下され100以下になりました。
明治維新とともに新政府からの廃城令により20城となり、太平洋戦争により8城が消失し、
現存する天守は12城が残るだけとなりました。
戦国時代から思いを馳せるとお城の数は1000分の1となった訳です。
当地の松江城は、江戸時代から戦災にも遭遇することもなく運が良かったと言わざるを得ません。
松江城存続の一番の危機は、明治新政府発令の「廃城令」です。
この時の逸話が残っていますので引用します。
まずは、当時の背景からです。
江戸幕府は、同ペリー率いる米国艦隊の浦賀来航をきっかけに開国をしました。
尊皇攘夷(じょうい)運動から倒幕運動へと転換していく中、親藩だったにもかかわらず、
松江藩は大きな戦いに巻き込まれず、1867年の大政奉還を迎えました。
翌68年、松江藩に新政府への恭順の意を示させようと訪れた鎮撫使(ちんぶし)一行が藩の対応に不満を持ち、
家老の切腹、嗣子の人質などを要求する「山陰道鎮撫使事件」が起きました。
鎮撫使を務めたのは後に首相となる西園寺公望です。
藩は「勤王奉仕」の誓書を提出し、新政府に恭順の意を示しました。
この時に活躍したのが、以前に掲載しました「松江藩のジャンヌ ダルク」こと「玄丹おかよ」という女性がいました。
西園寺ら一行は松江藩に難題を幾つも振りかけ家老切腹の危機を女の度胸と毅然とした態度で掬ったと言われています。
68年の版籍奉還後、最後の藩主である松平定安は知藩事に任命され、松江城は陸軍省の所管となりました。
71年、廃藩置県に伴い、定安は知藩事の職を解かれ、松江藩は松江県になり、松平家の統治は終わりを告げました。
日本の城郭は、明治初期、新政府の廃城令に伴い、各地で取り壊されました。
松江城天守も民間に払い下げられ解体寸前となりました。
ここで登場したのは、出雲市斐川町の豪農・勝部本右衛門栄忠(もとえもんしげただ)、景浜(かげはま)親子が、
私財を投じて買い戻し、保存が決まりました。
松江城は1871年に廃城が決定。天守は陸軍省広島鎮台の所管となり、民間に払い下げられました。
75年には入札が始まり、180円で落札が決まりました。
180円はコメの価格を基準に換算すると現在の約120万円に相当するそうです。
勝部家は松江藩政下で銅山の採掘に携わり、屈指の財力を持つ豪農として知られていました。
銅山の経営指導に当たっていた松江藩の「銅山方」だった元藩士高城権八から、
天守解体の旨を聞いた勝部親子は買い取りを決意。
落札価格と同額を広島鎮台に上納しました。
その後、勝部親子によって買い取られた天守は、修復など手を付けられることがなかったとのことです。
こんな大きな家など個人的には必要ありません。
松江城の取り壊しを取りあえず延ばしたのにすぎたかもしれませんが、その後松江市民から声が上がり、
松江市の管理となり現在に至ります。
松江城の落札価格が現在の約120万円に相当するというのも少し驚きですが、
買い取り後の維持管理費を考えれば厄介者ですね。
国宝となったのも、この勝部家親子の寄付?があったからこその栄冠となった訳ですね!
ハダル@矢野です。
11月に入り、朝晩はメッキリと寒くなり、暖房を入れないといけなくなって来ましたが
ここのところのエネルギー価格の高騰でどうしたものかと考えてしまいますね。
さて、今日は私の住んでいる宍道湖の東南部の住宅街に不思議なトラック道路があり、
もしかして、何かの跡地なのかと思い少し調べて見ました。
そこは、住宅地図を見ると、くっきり楕円形になっていて、周回1Kmの競馬場跡なんです。
車で迷い込むと出口がわからなくなるとか・・・。
私と盲導犬ハダルは、毎日2回散歩に使用しています。
何故なら、きっちりと1㎞ですので、2衆したら2㎞と計算しやすいからです。
それにほとんど、平地で、言ってみれば、バリアフリーだからです。
その道路は、カーブの見通しもやや悪く車で走って見ると道、1周約1キロ。
本当にサーキットかのような形ですが、ところどころで対向車とすれ違うのに苦労するほど道幅が狭くなり、
カーブの見通しもやや悪いところもあります。
ふと、カーブミラーが付いた電信柱に目をやると、そこに競馬場跡だったというヒントがあります。
NTT西日本のプレートに記されていたのは「競馬場」という文字。
郷土資料などを調べると、100年近く前、この場所に「松江競馬場」があったことが分かります。
1929年にオープンした松江競馬場は1周1千メートル、走路幅約16メートルのコースを備え、
当時、「関西随一の競馬場」と評されにぎわったという。
だが、不況による経営不振や戦局の影響で、わずか8年後の37年に廃止となった。という事です。
その後、戦後に外地からの引き揚げ者や建物疎開の対象となった人々による宅地需要が増え、
広大な市有地である競馬場跡地に目が付けられたようです。
46年度以降、「走路」とその外周に計59棟の市営の集合住宅が建設されました。
現在では、かつての走路沿いは、ぐるっと建物がほとんど空き地もなく建ち並んでいます。
その後、走路の内側も建ち、走路はそのまま道路として残った訳です。
ハダル@矢野です。
もうすっかり、秋模様の松江市です。
今日は、10月16日に「松江祭鼕行列」が3年ぶりに開催されました!という話題です。
当日は、天気にも恵まれ、気温26℃、少し暑いくらいの中で、行われました。
鼕(どう)行列は、「松江神社」の例大祭、松江開府を祝う祭りで、鉄の車輪の付いた屋根付き山車屋台に
4尺(1.2m)~6尺(1.8m)の鼕(どう)と呼ばれて いる太鼓を2~3台据えて、
笛やチャンガラの囃子に合わせて打ち鳴らし、子どもたちが綱を引き十数台で行列をする松江の秋を彩る風物詩です。
夏の終わり頃から夜になると各町内でこの鼕を叩く音が聞こえて来ます。
町内毎に鼕の叩き方が違うために練習をしているのです。
町内の長老から子供たちへ伝統が伝えられ、連帯感が深まる行事と言えます。
そもそもこの祭りは、江戸時代に松平五代藩主・宣維(のぶずみ)公に京都から岩姫が輿入れされたことを祝い、
町民が鼕を打ち鳴らしたことが祭りの始まりと言われています。
そして、現在のように行列をするようになったのは、大正天皇の御大典の時からです。
秋の空にお腹まで響きわたる鼕の音は、松江市民にとってはこだわりのある祭りです。
開催場所は、松江市 松江城周辺~市内一円です。
子供たちも練習の成果を発揮べくはっぴ姿で、頑張ります。
また、私も経験しましたが、市内を練り歩く行列を堀川遊覧船から見物するのも違った味わいがありました!
いつまでも、このお祭りが継承され、町内の人と人の繋がりを絶やさないで、もらいたいものですね!
ハダル@矢野です。
ここ出雲では、10月は、神在月といいます。
神様がお集まりになり、縁結びの会議をなさいます。
神様に日本酒が関係しているようです。
今回は、「島根は日本酒発祥の地」という話題です。
ここ松江市内にも幾つかの酒蔵があり、日本酒の試飲をしています。
3軒もはしごをするともう足元もおぼつかないことになります。
各酒蔵には、甘口から辛口まで何種類かあります。
かつては、日本酒の消費量が一人当たり全国一の時代もありましたが、今は5に低迷(?)しています。
しかし、相変わらず日本酒好きの県民性には変わりはありません。
そもそも、島根にはよい酒ができる大切な三つの条件が揃っているのです。
きれいな水を育む豊かな自然、高品質の酒造好適米、伝統と優秀な技術を誇る出雲杜氏・石見杜氏がいます。
現在、島根県内には35場の蔵元があり、いずれも立派な品質の酒を造っており
毎年全国新酒鑑評会等で優秀な成績を挙げています。
古代の神様たちも全国に先駆けてこの島根の地に目をつけられたのです。
出雲神話のエピソードや出雲国風土記、日本酒の神様を祀る神社など古来より
この地と日本酒に深い関係があったことを教えてくれています。
出雲大社の東にある出雲市平田町には、お酒の神様をお奉りした2つの神社があります。
酒造りの神である久斯之神(くすのかみ)を祀る佐香神社と松尾神社です。
酒の古名である「佐香(さか)」の名をもつこの地は、出雲国風土記にも
『この地に神々が集い、調理場を建て酒を醸造させられた。
180日間、酒宴を開いた後、お別れになった。故に佐香という。』といった記述で紹介されています。
この神社では酒造を年間180リットルだけ許可されており、毎年10月に行われる
濁酒祭では仕込まれた濁り酒を神前にお供えして1年の酒造祈願をします。
出雲神話には『スサノオノミコトがヤマタノオロチに八塩折(やしおり)の酒を飲ませ、
酔ったところを退治してクシナダヒメを救った』という有名なお話があります。
神話の時代、この地に酒造りの高度な技術があったことが伺えます。
島根は日本酒発祥の地といわれることも納得のいくところですね。
酒造りを見学して、試飲をすれば日本酒好きな方でなくても買いたくなること請け合いです。
(過度の飲酒にはご注意を!)
8月27、28日、「全国バスマップサミット in 松江」を島根県民会館で開催しました。
北は青森、南は沖縄から、全国各地のバスマップや公共交通に関わる方々にご参加いただき、
おかげさまで盛大な会になりました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
今回のサミットに合わせ、記念事業を行いましたので紹介します。
●プロジェクトゆうあいが発行する『どこでもバスブック』に毎号掲載してきた
「愛のバスものがたり」の小冊子を制作しました。
夫婦漫才「よしこじゅんじ」の角純二氏執筆のバスに関する小文と、
物語にあわせた挿絵で構成される22編の物語です。
また巻末には「愛のバスまんが」「愛のバス短歌」も掲載。
価格は200円(税込み)で、今後書店等で販売予定です。
●松江市役所近くにある宍道湖大橋北詰バス停を、「第19回 全国バスマップサミット・記念バス停」として
リニューアルしました。
車道側デザインは、2022年度版『どこでもバスブック』(第23号)の表紙を活用しており、
歩道側デザインは上記の小冊子「愛のバスものがたり」のイラストを活用しております。
この事業は、しまね社会貢献基金を活用したクラウドファンディングに採択されました。
島根県内の社会貢献活動の参加を応援するサイト「島根いきいき広場」を通して、
「愛のバスものがたり」制作と、「全国バスマップサミット in 松江」の開催資金を募りました。
9月14日時点で、494,500円のご寄付をいただきました。
この場を借りて感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。
今後も路線バスをもっと身近に、楽しく利用していただけるよう、路線や時刻などの情報を分かりやすく
お伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。