ハダル@矢野です。
今回は、出雲大社よりずっと古い神魂(かもす)神社の紹介をします。
松江市民の中では、通称"大庭の大宮さん"の名で親しまれている神社です。
前述しました古代出雲の国鳥があった中心地近くの「八雲立つ風土記の丘」資料館から徒歩約10分でこの社に着きます。
松江市の中心地から東南方向に路線バスで約20分、丘陵地に広がる古社が鎮座する松江市大庭(おおば)待ちがあります。
この「大庭」という地名は神様の祭りごとをする場所のことだそうです。
その大庭町に神の魂の神社と書いて神魂(かもす)神社と呼ぶ非常に古い社があります。
「カモス」と読むのは珍しいですが、一説によると神霊の鎮まり坐す所の「神坐所」(かみますどころ)がカンマスになり、
さらにカモスとなったと言われています。
イザナミノミコトを主祭神として祭る神社で、現在の島根県東部地方の意宇六社(おうろくしゃ)の
一つに数えられている格式の高い神社です。
ちなみに、意宇六社とは、かっての意宇郡(おうのこおり、現在の松江市、安来市)に鎮座する神社のうち、
熊野大社、真名井神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社、揖屋神社の6社を指し、
この6社を巡礼する事を「六社参り」と呼んでいます。
それでは、前置きはこのあたりで、参拝することにします。
神社の鳥い正面に「神魂神社」と彫った古い碑が建っています。
鳥居の先には、ゆっくりとした勾配の石畳の参道が続いています。
御手洗(みたらし)の所で参道は二手に分かれます。
そのまま真っ直ぐ進む参道は女坂で傾斜が少ない参道です。
しかし、左手の男坂は急勾配の階段を登ります。
暑い季節ともなれば、石段の上からスーっと冷気(霊気)が降りて来るのを感じます。
男坂の石段を登り切ると、目の前に神社の社殿が聳えています。
緩やかな坂道は、健常者の方はお断りしているそうですので、お気をつけ下さい。
石段を登ると田舎の小学校の校庭位の広さの境内に着きます。
境内は、厳かな雰囲気の木々が世間を隔離するように立ち並んでいます。
一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じます。
あっ、そうそう、本殿は国宝に指定されています。
その他の建築物も重要文化財に指定されています。
何が国宝かというと、この本殿は、天正11年(1583年)に建てられた現存する最古の大社造りなのです。
最初に建立されたのは、古いはずです。
この神社を造ったのはアメノホヒモミコト(天穂日命)とされています。
オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられた、あのアメノホヒノミコトです。
アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神はこの地に天降ると、
出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀りました。
それがこの神魂神社の始まりであるといわれています。
何が言いたいかというと、出雲大社よりずっと古いということです。
神魂神社の大社造は、規模において出雲大社よりはるかに小さいですが、
その他に屋根の上の千木(ちぎ)の形態に大きな違いがあります。
その先端の切り口が垂直(外削ぎ)になっている出雲大社に対し、
この神魂神社では水平(内削ぎ)にカットされています。
ご祭神が男の神様なのか女の神様なのかで違うそうです。
本殿の向かって左側には貴布祢(きふね)社があります。
社殿が小さいのであまり目立ちませんが、桃山時代の建築様式です。
ある2間社流れ造りで、国の重要文化財に指定されています。
流れ造りそのものが出雲地方では珍しい社殿です。
また、社務所脇には、古い鉄釜が安置されています。
その昔、出雲国造の租神であるアメノホヒノミコト(天穂日命)が
高天原から降臨された時乗ってきたと伝えられている釜です。
神様は、UFOの乗り物で下界に降りて来られた訳です。
よくよく考えると神様は、色々な超能力(?)を発揮されて国づくりなどをされた訳ですので、
もしかしたら、宇宙人だったのかもしれませんね。
神社建築にご興味のあるかたには、必見の神社です。
また、伊弉冊大神と伊弉諾大神という夫婦の神が祀られていることから、縁結びを願う人も多いようです。
神魂神社周辺の「六社参り」をすれば両園に出逢う事間違いないと筆者は、考えます。
本殿にお参りをして社を後にすることにします。
写真を添付します。神魂(かもす)神社の写真です。
写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。