ゆにふりみやぎ
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ゆにふりみやぎ の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

山元町の小学校でちょっとおそめの夏祭り♪

2011年09月23日 15:34   仙台バリアフリーツアーセンター
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山下第一小学校
先日、山元町立山下第一小学校で「ちょっとおそめの夏祭り」が開かれました(⌒-⌒)

このお祭りは、町内で「思い出サルベージアルバム・オンライン」プロジェクトを展開している日本社会情報学会災害情報支援チームのメンバーやボランティアさんと地元の住民の皆様の交流を目的として、ゆにふりと支援チームとの企画で開催したものです。2か月ほど前に構想を練り、突貫工事で進めてきた準備ですが、全国からたくさんのご協力、ご支援をいただき、食べて、歌って、踊って、感動しての素敵なお祭りにすることができました♪


お祭り日中の様子

写真左:お祭りポスター
写真右上:校舎の上から記念写真
写真右下:キャンドルアート始まりました♪


当日は雲ひとつない快晴で仙台で32℃まで気温が上がるという、まさに「ちょっとおそめの」お祭り日和!


お祭り日没の様子

写真上:日が落ちてキャンドルの炎が映えてきました♪
写真下:大阪からいらした「レ ペティ ドゥ バレエ」の皆さん。アフリカンダンスで盛り上がりました♪


会場となった小学校の校庭では、食べ物の屋台やマッサージ、キャンドルアート、そしてライブありと盛りだくさんのプログラム。地元の子どもたちにも喜んでもらえたかな?^^


お祭りステージの様子

写真上:たくさんのご支援をいただいた、福岡県久留米市「そらまめ会」さんからのビデオメッセージです。
写真下:ステージの最後はKaRaLiさん。素敵な歌声でした♪


そらまめ会さんのビデオメッセージに励まされ、KaRaLiさんのステージに癒される。ほんとに全国の方に支えられていることを実感(*´∇`*)


お祭りフィナーレ

写真上:キャンドルアート完成です♪右側は小学校のマスコット「さくらちゃん」^^
写真下:最後は打ち上げ花火!皆さんご来場ありがとうございました^-^

最後はインターネットプロバイダーニフティさんからご提供いただた打ち上げ花火でフィナーレ!初めての試みながらご来場いただいた全ての皆様に、心から感謝申し上げます(^o^)/


募金


後日、ナガワ仮設住宅自治会と山下第一小学校にお祭りで集めた募金を寄付させていただきました。
このお祭りが来年もさ来年も続けられるよう、町の皆様、今後ともよろしくお願いします!

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参考リンク
日本社会情報学会(JSIS-BJK)災害情報支援チーム活動ブログ



ゆにふりはジャズフェスに協力しております♪

2011年09月07日 23:05   仙台バリアフリーツアーセンター
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ジャズフェスティバルTシャツとパンフレット

いよいよ今週末になりました定禅寺ストリートジャズフェスティバル。昨年は、参加バンド776、参加者数5071人、観客数2日間で74万人と、日本最大級の野外音楽イベントとして全国的に有名です。毎年私は会場でMCをしているのですが、今年も2日目の11日に会場にいると思います^^

会場マップにゆにふり協力が印字されています

そして同じく毎年関わらせていただいているのが、街中のバリアフリー情報。今年はあまり詳しく情報提供ができなかったのですが、このような大規模イベントで少しでもバリアフリー情報がお役に立てれば嬉しいです♪

音楽の星・地球~ここから~』のテーマで開催される21年目のジャズフェス。仙台が音楽で一つになれる日がもうすぐやってきます。


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参考リンク
定禅寺ストリートジャズフェスティバル



1年ぶりの野蒜築港跡

2011年09月04日 16:52   仙台バリアフリーツアーセンター
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野蒜築港跡対岸から太平洋を望んでいます 野蒜築港跡対岸から太平洋を望んでいます
野蒜築港資料室から太平洋、北上運河河口を望む(写真 左 震災前 右 震災後)

先日、震災後初めて東松島方面に行きました。毎年お招き頂いております東松島高校での講話が目的なのですが、かんぽの宿松島(現在も休業中)をおすすめしていたゆにふりにとっても、昨年大学院の講義で野蒜築港跡に魅せられた自分自身にとっても思い入れの強い場所だけに、未だに手付かずの状態に愕然とし、震災から半年が経とうとしているなかで復興復旧が緒にもついていないのではないかと、同じ宮城県内に住みながら仙台で当たり前のように日常生活を送っている自分に現実を突きつけられました。


震災前の野蒜築港跡石碑 震災後の野蒜築港跡石碑 倒壊しています

北上運河河口に建つ野蒜築港跡石碑(写真左) 津波によって流され、最近元の場所まで戻したそうです。(写真右) 


1年ぶりに訪れた築港資料館周辺は、住宅群が津波によって流され、道路があったと思われる箇所は、草木が生い茂り全くわからない状態。変わらないのは、太平洋の波の音だけでした・・・。

明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていた野蒜築港。完成から3年後の台風による被害で施設は放棄されてしまいましたが、現在は重要な土木遺産として全国に名を馳せています。築港跡が震災からの復興を遂げ、また私たちにその姿を見せてくれる日を望まずにはいられません。


参考リンク
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野蒜築港(Wikipedia)