松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

夏は花火の風景はやっぱりいいですね! 

2022年08月18日 10:03   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
花火の季節がやって来たという感じですね。
一般的には、夏祭りとセットで行われるのが多い気がします。
松江市・宍道湖周辺の夜空を花火で彩る恒例行事「松江水郷祭」が8月6・7日、3年ぶりに開かれ、
待ち望んだ地元住民らは湖上に映える約1万3500発の大輪に酔いしれました。
新型コロナウイルスの影響で2020年、21年は中止となりましたが、
今年は感染対策として、屋台やイベントステージを設けないことで実施が決まりました。
午後8時頃から打ち上げがスタートしました。
湖に集う八百万(やおよろず)の神をテーマにした花火が次々と上がると、観客から大きな拍手が聞こえました。
我が家は、宍道湖沿いですので、2階のバルコニーから見物しました。
夜空を彩る大輪の花は老若男女から人気があり、魅了します。
私の子どもの頃の打ち上げ花火の体験といえば、月山富田城のある安来市広瀬町の愛宕神社で毎年7月21日、
夏祭りに打ち上げられる花火です。
知る人ぞ知るという事なんですが・・・。
松江水郷祭などに比べれば一つ一つは小さく、数分に一発と穏やかなものでしたが、
子どもの私には、距離が近かったので迫力は負けていなかったような気がします。
もう50年くらい前のことです。
水郷祭で宍道湖上に咲く大輪は最も大きなもので直径300メートルもあります。
今では、ハートや星などユニークな形の花火は平面に広がるため、
見る角度によっては意図した図柄に見えない場合もありますね。
打ち上げる側も気が気じゃないそうです。
それとは真逆に華やかな打ち上げ花火と対照的なのは、「てぼたん」の愛称で親しんでいた線香花火です。
手元で火花がボタンの花のように飛び交い、最後は火の玉となって落ちる姿は美しくはかないものです。
こちらも捨てがたい魅力がります。
これから各地で催される花火大会は、夏の一大イベントですね。
やっぱり、イカ焼き、かき氷、リンゴ飴、金魚すくいなど屋台やステージでの各種催し物がないと寂しい気がしますが、
勿論、中止よりいいです。



出雲大社よりずっと古い神魂(かもす)神社はパワースポットなんですよ!

2022年08月02日 13:52   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

今回は、出雲大社よりずっと古い神魂(かもす)神社の紹介をします。
松江市民の中では、通称"大庭の大宮さん"の名で親しまれている神社です。
前述しました古代出雲の国鳥があった中心地近くの「八雲立つ風土記の丘」資料館から徒歩約10分でこの社に着きます。
松江市の中心地から東南方向に路線バスで約20分、丘陵地に広がる古社が鎮座する松江市大庭(おおば)待ちがあります。
この「大庭」という地名は神様の祭りごとをする場所のことだそうです。
その大庭町に神の魂の神社と書いて神魂(かもす)神社と呼ぶ非常に古い社があります。
「カモス」と読むのは珍しいですが、一説によると神霊の鎮まり坐す所の「神坐所」(かみますどころ)がカンマスになり、
さらにカモスとなったと言われています。
イザナミノミコトを主祭神として祭る神社で、現在の島根県東部地方の意宇六社(おうろくしゃ)の
一つに数えられている格式の高い神社です。
ちなみに、意宇六社とは、かっての意宇郡(おうのこおり、現在の松江市、安来市)に鎮座する神社のうち、
熊野大社、真名井神社、六所神社、八重垣神社、神魂神社、揖屋神社の6社を指し、
この6社を巡礼する事を「六社参り」と呼んでいます。
それでは、前置きはこのあたりで、参拝することにします。
神社の鳥い正面に「神魂神社」と彫った古い碑が建っています。
鳥居の先には、ゆっくりとした勾配の石畳の参道が続いています。
御手洗(みたらし)の所で参道は二手に分かれます。
そのまま真っ直ぐ進む参道は女坂で傾斜が少ない参道です。
しかし、左手の男坂は急勾配の階段を登ります。
暑い季節ともなれば、石段の上からスーっと冷気(霊気)が降りて来るのを感じます。
男坂の石段を登り切ると、目の前に神社の社殿が聳えています。
緩やかな坂道は、健常者の方はお断りしているそうですので、お気をつけ下さい。
石段を登ると田舎の小学校の校庭位の広さの境内に着きます。
境内は、厳かな雰囲気の木々が世間を隔離するように立ち並んでいます。
一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じます。
あっ、そうそう、本殿は国宝に指定されています。
その他の建築物も重要文化財に指定されています。
何が国宝かというと、この本殿は、天正11年(1583年)に建てられた現存する最古の大社造りなのです。
最初に建立されたのは、古いはずです。
この神社を造ったのはアメノホヒモミコト(天穂日命)とされています。
オオクニヌシノミコトを出雲大社祭祀するように命じられた、あのアメノホヒノミコトです。
アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神はこの地に天降ると、
出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀りました。
それがこの神魂神社の始まりであるといわれています。
何が言いたいかというと、出雲大社よりずっと古いということです。
神魂神社の大社造は、規模において出雲大社よりはるかに小さいですが、
その他に屋根の上の千木(ちぎ)の形態に大きな違いがあります。
その先端の切り口が垂直(外削ぎ)になっている出雲大社に対し、
この神魂神社では水平(内削ぎ)にカットされています。
ご祭神が男の神様なのか女の神様なのかで違うそうです。
本殿の向かって左側には貴布祢(きふね)社があります。
社殿が小さいのであまり目立ちませんが、桃山時代の建築様式です。
ある2間社流れ造りで、国の重要文化財に指定されています。
流れ造りそのものが出雲地方では珍しい社殿です。
また、社務所脇には、古い鉄釜が安置されています。
その昔、出雲国造の租神であるアメノホヒノミコト(天穂日命)が
高天原から降臨された時乗ってきたと伝えられている釜です。
神様は、UFOの乗り物で下界に降りて来られた訳です。
よくよく考えると神様は、色々な超能力(?)を発揮されて国づくりなどをされた訳ですので、
もしかしたら、宇宙人だったのかもしれませんね。
神社建築にご興味のあるかたには、必見の神社です。
また、伊弉冊大神と伊弉諾大神という夫婦の神が祀られていることから、縁結びを願う人も多いようです。
神魂神社周辺の「六社参り」をすれば両園に出逢う事間違いないと筆者は、考えます。
本殿にお参りをして社を後にすることにします。

写真を添付します。神魂(かもす)神社の写真です。



写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
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松江市東出雲町の死者の入口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は神話 のルーツかも?!   

2022年07月26日 11:24   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
今日は、幽霊の日のようですね。
江戸時代に四谷怪談が初めてお芝居された日のようです。
夏には怪談がつきものですが、これには理由があって、
有名な役者はお盆の頃はお休みしていて、2流の役者しか残っていなかったようです。
幽霊の化粧をすれば、すこしくらいはごまかせたそうです。
今回は、巨岩神話なのですが、神話の中の神話また、「島根」の名前のルーツではないかと言われています。
少し不気味な神話です。
「黄泉」とはむろん死者の世界のことです。そこは、「黄泉比良坂」と言います。
聖書の中では、「黄泉」は死者が裁きを待つまでの中間の場所とされています。
『古事記』の中の「黄泉國」は、あの世との境界線とされます。
言わば死者の世界の入口なのです。
これは、見てはいけないものを見てしまった夫の神話伝説です。
それでは現地に行ってみることにします。
松江市揖屋町の住宅地に小さな標識「黄泉比良坂徒歩3分」と看板があります。
標識に従って進むと、緩やかな上り坂となります。
そこは、人が通った気配のない薄暗い山道です。
しばらく歩くと、今度は下り坂になり、その地が現れます。
そこには石柱が2本、まるで鳥居のように建って出迎えてくれました。
2本の石柱には細いしめ縄が結ばれ、結界を示しているようです。
ここを潜ると死の世界だと言わんばかりです。
石柱の先には、石組みの台座の上に石碑が鎮座しています。
長い歳月、風雨にさらされた姿です。
気味が悪い雰囲気がプンプンしています。
さらに、裏山の茂みの陰に2つの大きな石が置かれています。
ここで写真を撮ると、心霊写真になる場合が多いそうです。
ここで、『古事記』や『日本書紀』に残された黄泉比良坂伝説を記しておきす。
登場人物は男神イザナギと女神イザナミです。
『イザナギは亡くなった最愛の妻イザナミに逢いたくて跡を追い、死者の国である黄泉に行った。
イザナギが妻を呼ぶと、
「わたしも帰りたいと思います。黄泉の国の神に相談しますので、その間は決してわたしの姿を見ないでください」
と言って、消えてしまった。
イザナギは待てども返事がないので、しびれを切らして辺りを見てしまった。
そこには体にウジ虫がわき、ふた目と見られぬ妻の姿があった。
「あなたは、わたしに恥をかかせましたね」と怒ったイザナミ。
恐ろしくなって逃げるイザナギをイザナミが追いかけてきた。
そこで、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまった。』

2つの大きな石の謎はどうなんでしょう。
神話からすると、黄泉比良坂にあった2つの大きな石が死者の国を塞いだ岩なのでしょうか。
あの下に、死者の世界に通じる穴があるのでしょうか。
岩を動かしてみた人は未だいないようですので、不明?です。
じつは、この神話には続きがあります。
黄泉の国から帰ったイザナギはけがれを落とすためにある泉でみそぎをします。
その時、その左目から生まれた神が天照大神(あまてらすおおみのかみ)、
右目から生まれたのが月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれたのが須佐之男命(すさのおのみこと)。
神話の世界で有名な「三貴子」です。
後に承知の通り、須佐之男命は出雲神話で大活躍します。
要するに、黄泉比良坂は神話のルーツとも言えるという訳です。
それゆえ、黄泉の国を“根の国”とする説もあり、これが「島根」の地名の由来になったとも言われています。
神話は奥が深く読み込めば読み込むほどに引き込まれますね。
興味のある方は、神話の世界からある心霊スポットに一度おいでてみたら何かぞくぞくする気分になるかもしれませんよ。

写真を3枚添付します。
1枚目は、「黄泉比良坂」の石柱と石碑の写真です。
2枚目は、死者の世界の入口を塞いでいる岩の写真です。


写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
添付画像
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災害時に最低これだけは持って避難する物は!

2022年07月12日 13:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
梅雨は、明けましたが、これからが夏本番といったところですね!
こちら山陰の海水浴場でも海開きが続々と開かれています。
この間のニュースでは、山陰各地の海水浴場は、透明度、大腸菌数など基準は、
クリアしているそうですので、是非、お出かけください。
さて、今年も各地で、既に避難情報が気象台や自治体から流れています。
その時々で避難する際にもって行けるものを皆さんは、どのようにお考えでしょうか?
避難に時間がある時ととっさの場合とあると思いますが、これだけは、最低必要なものがあります。
さて、災害救助に出動したり、野外訓練で陸上自衛隊では、どんな教育を受けているのでしょうか?
少し調べてみましたので、ご参考にしてください。
生き延びていくには、『空気・体温・水分・食料』が重要。
このうち水分について陸上自衛隊では『災害時や野外行動で重宝するのは水道水』と教わるそうです。
どのような状況におかれているかによって重要度は異なりますね。
これは、大規模災害時です。
十分な空気を確保できているなら、「身体を温めることが第一優先」が鉄則です。
特に冬場は、「まず身体を温める」という行動が重要です。
ビニール袋や新聞紙は保温に役に立つので、腹に巻いたり、服のように着るといいでしょう。
特に女性が持っておいたほうが良いものに、「ポンチョ」があります。
保温に使えるのはもちろんのこと、お子さんを抱えながら雨風をしのぐのに役立つことや、
野外での着替えなどにも使えるからです。
次に、災害時で最強の飲み物は、水道水です。
水道水はとにかく腐らないからです。
水道水は常温で3日間持ちます。
そして、何日も水筒に入れっぱなしでもあまり腹を壊さない、傷の手当てにも使えるなどの利点が多いのです。
「カルキくさい」「塩素くさい」と評判の悪い水道水ですが、
水道水はきびしい検査があり、日本ほどきびしい基準を設けている国はほぼありません。
次に非常食は「普段でもおいしく食べられる」で選ぶことが重要です。
まず、大前提として非常食を「面倒くさいから同じでいいや」と適当に準備するのは避けましょう。
理由は、同じものばかりを食べていると、身体が「拒否反応」を起こすことがあるからです。
お腹が空いていても「これだけは食べたくない……」という
気持ちになります。
そして、非常食は味にクセがあるものも多いので、
口に合わないと災害時に、「食べたくない……」ということが起こります。
こうなると、空腹を感じていても脳が食べることを拒否して、なかなか飲み込めなくなります。
拒否反応を防ぐためにも、非常食も味に多彩性を持たせましょう。
たまにはレトルト食品も食べ比べして、「普段でもおいしく食べられる」非常食を選んでください。
災害時に口に合わない非常食を食べ続けるのは苦行ですからね。
また、非常食は「糖質」がメインになりがちなので、
タンパク質を補うために「プロテイン」も準備しておいてください。
プロテインは保存が利くタンパク質で、ストレスで食欲がなくても飲んで栄養補給できます。
いざというときに大切な食料になります。
以上、参考にしてください。
とっさにであれば、私は、携帯電話・ポケットラジオ・水道水の入った水筒または、ペットボトルです。



皆様は、「半夏生」ってご存じでしたか?   

2022年07月06日 11:44   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。空梅雨が明けたと思ったら雷雨予報が続いている松江市です。

「半夏生」という言葉をご存知でしたか?今年は7月3日でしたでしょうか?!

半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃とされて、
この名がついたものと見られます。
一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が
名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも言われるようです。
様々な地方名があるようですが、こちら出雲地方では、「半夏(はんげ)」といいます。
昔からの風習が伝えられている処は多いようです。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多いのです。
地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言います。
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、
この日から5日間は休みとする地方もあります。
また、この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、
この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりしたのだそうです。
これは、どんな戒めなのかは、筆者には不可解ですが、
湿気が多く雑菌が多く繁殖し、伝染病に気をつけなさいということなのでしょうか。
何だか怖い季節のようです。
現代では、天気予報もあり、大雨などはある程度は予測されますが、
天気予報が外れる確率が多いのもこの時期なのは確かです。
出雲地方では、この時期に特別な食べ物としては、笹巻き(ささまき)を食べるくらいです。
夏至から半夏生の間に作ります。中身は、米粉100%で作ったお団子を若葉の笹で包んだものです。
食べ方は、お湯でゆがして、ササを取り除き、砂糖醤油や黄粉をつけて食べます。
皆様の処ではいかがでしょうか。
気候の変わり目を昔の人は、きちんと暦に記しています。
経験値の積み重ねと言わざるを得ませんね。
現代でも、少しは、暦の享受をしたほうがいいかもしれません。