松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

実は「セミの一生は長い!?」

2023年09月11日 13:21   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。



まだまだ蒸し暑い気候が続く日々。
そんな夏の暑さを助長するのが、セミの鳴き声ではないでしょうか。
「ミーンミーン」という独特な鳴き声は数匹いるだけでも、かなりの大音量!

セミの声で目覚めてしまうなんてこともあるほどです。
あれだけ大きな鳴き声を響かせるセミですが、その生き様ははかないもの……。
道端でひっくり返り、儚い一生を終えたセミの姿を、この時季になるとよく見かけますが、
実は「セミの一生は長い!?」ともいわれています。
そのワケとは?
セミというと、夏になるといつの間にか現れて、あっという間に消えていく……、
そんな儚い存在のイメージを抱いている人も多いと思いますが、
みなさんはセミがどのように生まれているかをご存じですか?

アブラゼミは夏の成虫の間に木の幹に卵を産みます。
その卵が孵化するのは翌年の梅雨どき。
孵化した幼虫は土の中へ潜っていきます。
セミの一生の大半は土の中で過ごすことになります。
なんとその長さは3~17年にもおよぶのだとか!
セミの種類にもよりますが、3年も土の中にいるとは驚きですよね。
成虫になるまでにかなりの時間を要しているのです。

地中で長い時期を過ごすことはよく知られていますが、地上に出てきてからのセミの寿命は、なかには1カ月の場合も!
とはいえ、地上に出てきてから短命な理由はなんなのでしょうか。
長い長い地下生活を経て、羽化のタイミングで再び木に登っていきます。
ようやく羽の生えた成虫になるわけですが、最初のうちは体も白っぽく、鳴き声も小さいといいます。

セミが成虫になってからは、1週間くらいの寿命といわれていますが、
環境さえ整えば1カ月くらいは生きられるともいわれています。
人間をはじめ、外敵&天敵が多いため外で長期間生きるのはセミにとって、かなり難しいことなのです。
例えば外敵&天敵には、人間、カラス、猫、鳥、肉食の蜂・蟻とさまざまなのです。
セミが成虫になってからの期間は限られた短い時間しかありません。
その間にセミにはしなければいけないことがあります。
それは、子孫を残すこと。
成虫の間にしか、卵を産むことができませんので、子孫繁栄のために地上に出てきたといっても過言ではありません。

ちなみに鳴き声を発することができるのはオスのみ。
メスに合図を出すために、オスはあのような鳴き声を発しているのです。
あの鳴き声のおかげで、他の昆虫に比べてオスとメスが出会う確率が高いといわれています。
子孫繁栄のために、生きているわずかの時間で自らの使命を果たします。
私たちが目に触れる期間はわずかですが、満を持して地上に登場してくるセミ。
儚くも強い一生といえるかもしれませんね。
セミの生態を知ると、夏休みのセミ取は、鳴き声で虫取り網で捕獲するのですが、可哀そうな気になりますね!

一口メモでした。



仁摩町 鳴り砂の秘密とことが浜伝説とは?

2023年09月06日 14:49   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
9月になって、暑さは、ひと段落の松江市です。


今日は、仁摩町 鳴り砂の秘密とことが浜伝説とは?という話題です。
鳴り砂とは、丸みを帯びた石英が65%以上含まれ、外部より急激な力を加えると音を発する砂のことをいいます。
鳴り砂の浜は日本で約30ヵ所確認されていますが、浜がゴミ等で汚れていないことや砂粒がほぼ均一であることなど
稀な条件下で鳴り砂になります。
浜の全域にわたってよく鳴る砂浜は、今では数えるほどになってきて、500万年と言う悠久の時に育まれた
この奇跡の浜「琴ヶ浜」は、日本有数の鳴り砂海岸として注目されています。
琴ヶ浜は、仁摩町馬路の海岸に約1.6kmにわたって続く砂浜です。
1996年に、『日本の音風景百選』と『日本の渚百選』に選ばれました。

琴姫伝説とは?
壇ノ浦の源平合戦で平家が滅亡した寿永4年(1185年)春、波に洗われ痛々しい姿になった
1艘の小船が馬路の浜へ流れ着きました。
その小舟の中には、たいそう美しい姫が一人、気を失ったまま横たわっていました。
そのか細い両腕の中には、しっかりと琴が抱かれていました。
姫は村人たちの手厚い介抱により少しずつ体力を取り戻し、消えそうだった一命を取り留めることができました。
姫は平家一門であったため、平家が滅びた今となってはもはや帰る住まいもなく、ただ身を隠しながら、
情け深い村人たちにすがって生きるより他に道はありませんでした。
姫はこれまで村人たちから受けた数々の情けや恵みへのお返しにと、日ごと夜ごと琴を奏で続けました。
その琴のしらべは、時に悲しく時にやさしく浜一帯に鳴り響きました。
その音色は、いつも村人たちをはげまし、なぐさめたと後々まで言い伝えられています。
やがて日が経つにつれ、ますます村人たちは姫を心から敬い慕うようになっていきました。
けれども姫は、恐ろしかった戦(いくさ)が思い起こされるたびに、それまでの華やかな都での生活がしのばれ、
この世の運命のはかなさを嘆かずにはおられませんでした。
そうして1年が過ぎ、春が巡ってきたうららかなある日のこと、海の漁から帰ってきた村人たちは、
いつも鳴り響く琴の音が聞こえてこないことに気づきました。
この異変を案じた村人たちは、姫の住まいを訪ねてみると、
この浜に流れ着いたときと同じ姿で、姫はすでに息絶えていました。
村人たちは、美しく心優しい姫の死をいたく悲しみ、浜一帯が見渡せる丘に琴と一緒に葬りました。
翌朝、漁に出ようとした村人たちが浜を歩くと、琴を奏でるようなやさしい音色が浜から鳴り響いてきました。
村人たちはこの音色こそ、姫が村人たちのためにこの浜に残してくれた琴のしらべに違いないと言い伝え、
その後、この浜を「琴ヶ浜」と呼ぶようになったとのことです。

悲しい伝説ですね!
ところで、海岸を裸足で歩く事がなくなったあなた! 
波打ち際をきゅっ きゅっと音を鳴らしながら歩いてみませんか?



もしも一生使い切れない大金を手にしたらぜいたくする人と寄付する人は、どっちの方が多いと思いますか?

2023年08月29日 11:28   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

もうすでに、8月末というのに、猛暑続きの松江市です。
「小さい秋見つけた・・・」♪ などとっても遠い感じですがね。

さて、お金はいくらあっても嬉しいもの──
人は一生かけても使い切れない大金を手に入れたら、あなたは、何をしようとしますか?
そんな調査をした会社があります。
全国の男女500人(女性353人/男性147人)を対象に実施。
「一生かけても使い切れないお金の使い道」のデータをランキング化しました。
調査は4月4日に行ったようです。
一生かけても使い切きれないお金を手に入れたときの使い道1位は「旅行や趣味」 
それによると、一生かけても使い切れないお金を手に入れたときの使い道で、トップとなったのは「旅行や趣味」で、
500人のうち178人が挙げていた。
イメージとしては、不動産など資産購入などに充てそうだが、2位の「マイホームを購入する」(134人)を上回るなど、
自分の楽しみに充てる人が多いようです。
3位にランクインしたのは「寄付・社会貢献する」(133人)で、「ぜいたくして生活水準をあげる」(91人)が4位となりました。
日本では寄付文化がアメリカなどに比べて根付いていないといえるますが、寄付を考える人は少なくないようです。
自分でぜいたくする人を奉仕する人が上回っているようですね。
他方、「一生かけても使い切れないお金を手に入れたら幸せになる」と思う人は85.4%に達したようです。
やっぱり、大金を手にすることはうれしい!?
でも、こんな調査ですが、一生使えきれないのですから、
自分のためだろうが、人のためだろうが、あんまり関係ないのではないかと私は思います。
例えば、1億円とか10億円とかに使用期限や金額が決まっていたほうが、良かったかもしれませんね!
こんなに穿った考え方は、いけないんでしょうね!
いくらなんでも9月に入れば少しは秋の気配が訪れるのを信じてもう少し我慢することしかありませんね!



江戸時代のオカッピキは奉行所から給料がもらえないのにどうしていた の?

2023年08月23日 09:58   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
残暑お見舞いどころか猛暑お見舞いの松江市です。
皆様は、如何お過ごしでしょうか?
私は朝5時に 起床して、盲導犬のハダルの排泄、食事をさせて、6時から散歩するのですが、汗ビッショリになります。

今回は、時代劇好きな私ですので、江戸時代のオカッピキについて少し調べてみましたので、紹介します。
結論から言いますと、同心の懐から「給料」が与えられたようです。(充分なものではなかったでしょう。)
十手を持てるような者ばかりではなく、「情報屋」のような人間も同心が個人的に「飼って」いました。
しっかりした者は副業(本業)を別に営んだり、妻が店舗を経営するなど「経済的基盤」を持っていたようです。

【岡っ引き】は正確には【御用の者】「御用聞き】【目明し】などといいます。
庶民は尊敬や畏怖の念を込めて【親分】と呼んだようで。
【岡】という文字には「非公式」「イリーガル」という意味があります。
たとえば、幕府公認の売春窟(吉原)に対し、非合法の売春窟を「岡場所」といいます。
【岡っ引き】というと「非合法に逮捕する者」(=「ポリ公もどき」「警官気取りの嫌な奴」)
というニュアンスを含みます。
庶民が面と向かって【岡っ引き】と呼ぶことはありませんし、
【目明し】が自分で【岡っ引き】と名乗ることもありません。
職権を乱用して私腹を肥やしたり、奉行所の威光を笠に着てイバるような【目明し】は、
陰で【岡っ引き】と呼ばれたでしょう。
そういう者が大部分だったようですが…。
しかし、銭形平次とか○○捕り物帳など時代劇では、そのような事は感じませんが、
後の時代に作家が作り上げたフィクションに過ぎないのでしょうね。
同心の給料と言えば、よく時代劇では、30俵2人ぶちとか30石2人ぶちとかいいます。
1石が一両で計算すると、1両は、10~14万円ですので、年収は、300~420万円という事になります。
給料としては、そんなに高いとは決して言えませんね。
手柄をたてれば、お奉行様からお褒美がもらえたんでしょうか?
こんな事を思いながら、時代劇を見ると、なんだか親分には幻滅しますでしょうか?



7月26日は「幽霊の日」なんです!?

2023年07月27日 09:55   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。

今日も猛暑ですね!しばらくはこの天気が続くようです。
家にこもるしかないですね。
幽霊のお話で、少しは、涼しくなってください。

7月26日は「幽霊の日」です。でもなぜ「幽霊の日」なのでしょうか?
夏の暑さを吹き飛ばすかのように、昔から夏といえば怪談話がついてまわります。
「肝を冷やす」という言葉がありますが、体を直接冷やすだけではなく気持ちの面でも「冷」を感じられるように、
ということなのかもしれませんね。
そんな夏真っ盛りの7月26日は「幽霊の日」に制定されているのをご存じですか?
なぜ、「幽霊の日」がつくられたのでしょうか?

その由来は江戸時代のできごとにさかのぼります。
1825年7月26日、江戸にある中村座にて四代目鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されました。
今の時代にも受け継がれる人気の歌舞伎演目が初めて披露されたのがこの日だったのです。

ストーリーをおさらいしてみましょう。

舞台は江戸の四谷。
田宮家の娘である「お岩」は、浪人であった「伊右衛門」と結婚しました。
しかし、近くの住人でお金持ちの伊藤喜兵衛という男の孫娘が、妻子持ちである伊右衛門に恋心を抱いてしまいます。
そこで喜兵衛は、お金を伊右衛門にちらつかせ、お岩に毒を飲ませるよう指示します。
お岩の髪はバラバラと抜けおち、顔はひどくただれていってしまいます。
その姿にショックを受けたお岩は、自ら命を落としてしまいます。
そして、お岩は幽霊となり、伊右衛門を恨み続けるのです。
たちまち、江戸で人気を博したこの演目が、のちに「幽霊の日」をつくる由来となったのです。

そして、幽霊の足がないのはなぜなんでしょうか?
昔から日本の幽霊といえば白装束を身に着け、両手を胸元あたりでくねっと曲げ、足のあたりがボヤッとしている……
といった見た目の印象が植えつけられています。
実は、幽霊に足がない理由も『東海道四谷怪談』に関係しているのです。

幽霊の足を消したのは、歌舞伎役者の尾上松緑だといわれています。
『東海道四谷怪談』を演じることになった尾上松緑は、怖さを感じさせる演出を考えていたところで出たのが、
幽霊の足をなくすというアイデアでした。
この手法は狙い通り、観客から「怖い」と評判になり、今の幽霊の姿につながるものとなったのです。

四代目鶴屋南北によって書かれた『東海道四谷怪談』は実在した人物の話を脚色して作品化されたもの。
「お岩さん」と聞くと、強い怨念を抱いた女性というイメージをもたれがちですが、
実際は違うのでは、という説もあります。

お岩と伊右衛門は仲睦まじく暮らしていて、身分の低い夫を支えるためお岩は奉公に出たといいます。
さらに、真面目な働きぶりが評価され、夫の出世にもつながったのだとか。
その際、お岩が信仰していた稲荷が「お岩稲荷」と呼ばれ、
江戸の人々もあやかるようになったほど成功の象徴だったようです。

お岩人気は思わぬ形で今にも受け継がれていますが、『東海道四谷怪談』はあくまで架空のお話。
夏に少しのひんやりを感じたいときは怪談話を聞いてみるのもよいかもしれません。