松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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松江/山陰バリアフリーツアーセンター の活動状況や、各種お知らせを掲載します。

松江市東出雲町の死者の入口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は神話 のルーツかも?!   

2022年07月26日 11:24   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
今日は、幽霊の日のようですね。
江戸時代に四谷怪談が初めてお芝居された日のようです。
夏には怪談がつきものですが、これには理由があって、
有名な役者はお盆の頃はお休みしていて、2流の役者しか残っていなかったようです。
幽霊の化粧をすれば、すこしくらいはごまかせたそうです。
今回は、巨岩神話なのですが、神話の中の神話また、「島根」の名前のルーツではないかと言われています。
少し不気味な神話です。
「黄泉」とはむろん死者の世界のことです。そこは、「黄泉比良坂」と言います。
聖書の中では、「黄泉」は死者が裁きを待つまでの中間の場所とされています。
『古事記』の中の「黄泉國」は、あの世との境界線とされます。
言わば死者の世界の入口なのです。
これは、見てはいけないものを見てしまった夫の神話伝説です。
それでは現地に行ってみることにします。
松江市揖屋町の住宅地に小さな標識「黄泉比良坂徒歩3分」と看板があります。
標識に従って進むと、緩やかな上り坂となります。
そこは、人が通った気配のない薄暗い山道です。
しばらく歩くと、今度は下り坂になり、その地が現れます。
そこには石柱が2本、まるで鳥居のように建って出迎えてくれました。
2本の石柱には細いしめ縄が結ばれ、結界を示しているようです。
ここを潜ると死の世界だと言わんばかりです。
石柱の先には、石組みの台座の上に石碑が鎮座しています。
長い歳月、風雨にさらされた姿です。
気味が悪い雰囲気がプンプンしています。
さらに、裏山の茂みの陰に2つの大きな石が置かれています。
ここで写真を撮ると、心霊写真になる場合が多いそうです。
ここで、『古事記』や『日本書紀』に残された黄泉比良坂伝説を記しておきす。
登場人物は男神イザナギと女神イザナミです。
『イザナギは亡くなった最愛の妻イザナミに逢いたくて跡を追い、死者の国である黄泉に行った。
イザナギが妻を呼ぶと、
「わたしも帰りたいと思います。黄泉の国の神に相談しますので、その間は決してわたしの姿を見ないでください」
と言って、消えてしまった。
イザナギは待てども返事がないので、しびれを切らして辺りを見てしまった。
そこには体にウジ虫がわき、ふた目と見られぬ妻の姿があった。
「あなたは、わたしに恥をかかせましたね」と怒ったイザナミ。
恐ろしくなって逃げるイザナギをイザナミが追いかけてきた。
そこで、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまった。』

2つの大きな石の謎はどうなんでしょう。
神話からすると、黄泉比良坂にあった2つの大きな石が死者の国を塞いだ岩なのでしょうか。
あの下に、死者の世界に通じる穴があるのでしょうか。
岩を動かしてみた人は未だいないようですので、不明?です。
じつは、この神話には続きがあります。
黄泉の国から帰ったイザナギはけがれを落とすためにある泉でみそぎをします。
その時、その左目から生まれた神が天照大神(あまてらすおおみのかみ)、
右目から生まれたのが月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれたのが須佐之男命(すさのおのみこと)。
神話の世界で有名な「三貴子」です。
後に承知の通り、須佐之男命は出雲神話で大活躍します。
要するに、黄泉比良坂は神話のルーツとも言えるという訳です。
それゆえ、黄泉の国を“根の国”とする説もあり、これが「島根」の地名の由来になったとも言われています。
神話は奥が深く読み込めば読み込むほどに引き込まれますね。
興味のある方は、神話の世界からある心霊スポットに一度おいでてみたら何かぞくぞくする気分になるかもしれませんよ。

写真を3枚添付します。
1枚目は、「黄泉比良坂」の石柱と石碑の写真です。
2枚目は、死者の世界の入口を塞いでいる岩の写真です。


写真をクリックすると別ウィンドウで拡大写真を表示します。
添付画像
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災害時に最低これだけは持って避難する物は!

2022年07月12日 13:10   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
梅雨は、明けましたが、これからが夏本番といったところですね!
こちら山陰の海水浴場でも海開きが続々と開かれています。
この間のニュースでは、山陰各地の海水浴場は、透明度、大腸菌数など基準は、
クリアしているそうですので、是非、お出かけください。
さて、今年も各地で、既に避難情報が気象台や自治体から流れています。
その時々で避難する際にもって行けるものを皆さんは、どのようにお考えでしょうか?
避難に時間がある時ととっさの場合とあると思いますが、これだけは、最低必要なものがあります。
さて、災害救助に出動したり、野外訓練で陸上自衛隊では、どんな教育を受けているのでしょうか?
少し調べてみましたので、ご参考にしてください。
生き延びていくには、『空気・体温・水分・食料』が重要。
このうち水分について陸上自衛隊では『災害時や野外行動で重宝するのは水道水』と教わるそうです。
どのような状況におかれているかによって重要度は異なりますね。
これは、大規模災害時です。
十分な空気を確保できているなら、「身体を温めることが第一優先」が鉄則です。
特に冬場は、「まず身体を温める」という行動が重要です。
ビニール袋や新聞紙は保温に役に立つので、腹に巻いたり、服のように着るといいでしょう。
特に女性が持っておいたほうが良いものに、「ポンチョ」があります。
保温に使えるのはもちろんのこと、お子さんを抱えながら雨風をしのぐのに役立つことや、
野外での着替えなどにも使えるからです。
次に、災害時で最強の飲み物は、水道水です。
水道水はとにかく腐らないからです。
水道水は常温で3日間持ちます。
そして、何日も水筒に入れっぱなしでもあまり腹を壊さない、傷の手当てにも使えるなどの利点が多いのです。
「カルキくさい」「塩素くさい」と評判の悪い水道水ですが、
水道水はきびしい検査があり、日本ほどきびしい基準を設けている国はほぼありません。
次に非常食は「普段でもおいしく食べられる」で選ぶことが重要です。
まず、大前提として非常食を「面倒くさいから同じでいいや」と適当に準備するのは避けましょう。
理由は、同じものばかりを食べていると、身体が「拒否反応」を起こすことがあるからです。
お腹が空いていても「これだけは食べたくない……」という
気持ちになります。
そして、非常食は味にクセがあるものも多いので、
口に合わないと災害時に、「食べたくない……」ということが起こります。
こうなると、空腹を感じていても脳が食べることを拒否して、なかなか飲み込めなくなります。
拒否反応を防ぐためにも、非常食も味に多彩性を持たせましょう。
たまにはレトルト食品も食べ比べして、「普段でもおいしく食べられる」非常食を選んでください。
災害時に口に合わない非常食を食べ続けるのは苦行ですからね。
また、非常食は「糖質」がメインになりがちなので、
タンパク質を補うために「プロテイン」も準備しておいてください。
プロテインは保存が利くタンパク質で、ストレスで食欲がなくても飲んで栄養補給できます。
いざというときに大切な食料になります。
以上、参考にしてください。
とっさにであれば、私は、携帯電話・ポケットラジオ・水道水の入った水筒または、ペットボトルです。



皆様は、「半夏生」ってご存じでしたか?   

2022年07月06日 11:44   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。空梅雨が明けたと思ったら雷雨予報が続いている松江市です。

「半夏生」という言葉をご存知でしたか?今年は7月3日でしたでしょうか?!

半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃とされて、
この名がついたものと見られます。
一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が
名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも言われるようです。
様々な地方名があるようですが、こちら出雲地方では、「半夏(はんげ)」といいます。
昔からの風習が伝えられている処は多いようです。
この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多いのです。
地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言います。
農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、
この日から5日間は休みとする地方もあります。
また、この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、
この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりしたのだそうです。
これは、どんな戒めなのかは、筆者には不可解ですが、
湿気が多く雑菌が多く繁殖し、伝染病に気をつけなさいということなのでしょうか。
何だか怖い季節のようです。
現代では、天気予報もあり、大雨などはある程度は予測されますが、
天気予報が外れる確率が多いのもこの時期なのは確かです。
出雲地方では、この時期に特別な食べ物としては、笹巻き(ささまき)を食べるくらいです。
夏至から半夏生の間に作ります。中身は、米粉100%で作ったお団子を若葉の笹で包んだものです。
食べ方は、お湯でゆがして、ササを取り除き、砂糖醤油や黄粉をつけて食べます。
皆様の処ではいかがでしょうか。
気候の変わり目を昔の人は、きちんと暦に記しています。
経験値の積み重ねと言わざるを得ませんね。
現代でも、少しは、暦の享受をしたほうがいいかもしれません。



最近の梅雨のイメージは変わりましたね!

2022年06月30日 10:08   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
今年の梅雨は、どちらかというと空梅雨の松江市でしたが、雲にはどっさりと湿り気を含んで、
集中豪雨にならなければと祈るばかりでした。
さて、梅雨と言えば、雨が2ヶ月近くも降り続き暑かったり少し肌寒かったりムシムシしたり時には豪雨だったり
とそんなに良い季節ではありませんね。 
また、気持ちの上では、うっとうしい、ジメジメ、憂鬱などという言葉が続くことが多いのですが、
五月雨(さみだれ)といえば雨を見つめる眼差しが変わりませんか?
言葉ひとつで気分も変わるから不思議ですね。 
そのイヤな梅雨でもアジサイやハスの花は雨に降られないと綺麗に咲かなかったり、
季節は順繰りと回転しなければ生態系にも何かしら影響が及ぶとしたものです。 
ところで梅雨の由来は、梅の実がちょうど熟す頃だから…
と思っている方が大勢を占めているのではないでしょうか。
この他には、黴雨(ばいう)……黴(かび)が生えやすい時期の雨だから。
あまり良い語感ではないため、「梅雨(ばいう)」の字を当てるようになったという説もあります。 
この「梅雨(ばいう)」が江戸時代に日本に伝わりますが、
日本流に「つゆ」と呼ぶようになったのは、次のような説があります。 
・「露(つゆ)」からの連想 
・黴によって物が損なわれる「費ゆ(つひゆ)」に由来 
・梅の実が熟す頃という意味の「つはる」に由来 
・梅の実が熟して潰れる頃という意味の「潰ゆ(つゆ)」に由来 
こうして梅雨(つゆ)が定着しましたが、日本には素敵な異称があります。 
「さみだれ」ということばの響きもうつくしいですね。どんな漢字を当てるのでしょうか。 
五月雨(さみだれ) 「さ」は旧暦の5月(現在の6月ごろ)をさし、「みだれ」は「水垂れ」という意味。
梅雨という言葉が伝わる前は五月雨でした。 
梅霖(ばいりん) 「霖」はながあめという意味です。 
さて、こちら松江市では「縁雫」(えにしずく)と観光客のイメージを梅雨は雨が降るものとしたコピーで誘致しています。
和服を着てから傘をさして松江の堀川沿いを散歩するなどのしっとりとした過ごし方は如何でしょうか? 
もっとも今年は、今のところは空梅雨ですが・・・。 
そんな梅ですが、梅酢、梅酒、梅ジュース、梅肉エキス、のし梅・・・・
梅の加工品は数あれど、最もお馴染みなのが梅干しではないでしょうか。
「朝昼晩と梅を食べれば、医者いらず」といわれた梅干しは、昔から家庭の保健薬的な食べものとして
上手に取り入れられてきました。
その医食同源の秘密は、あの独特のすっぱさにあります。
クエン酸やリンゴ酸を中心とする有機酸は、殺菌や疲労回復、そして食欲増進などにパワーを発揮します。
胃腸の調子が悪い、疲れやすい、食欲がない、などの夏バテ対策にうってつけです。
また、お弁当やおにぎりのなかに入れるのは、腐敗菌の繁殖を防ぐ梅干しの防腐効果を期待してのこと。
先人の知恵に脱帽ですね。 
昔は、塩と梅酢で調理したことから塩梅(あんばい)という言葉が生まれました。
梅干しを食べて、ゆううつな梅雨の時期を「あんばい良く」過ごしたいものですね。 



宍道湖の夕陽を世界に紹介したのは文豪小泉八雲でした! 

2022年06月20日 14:35   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。
昨日も宍道湖の西岸にある岸公園では、夕方になるとカメラを持った人であふれています。 
勿論、夕日の撮影の時間を待っているのです。
このブログでも再三、紹介しています、文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が世界に発信しなければ
日本でも有数の夕陽スポットに認定されていなかったという話題です。 
皆さま、ご存じのように八雲はアイルランド生まれです。
この国には日本ほど四季がハッキリとしていなかったのでしょう。
そもそも、四季の変化を求めて来日したと言われています。
しかも山陰の松江に縁があったのも偶然ではなかったのではないでしょうか。 
八雲が松江に来松した、明治23年ころの宍道湖は現在と少し様子が違います。
JR山陰本線より宍道湖側や白潟公園(県立美術館のあるところ)や松江宍道湖温泉街などは
昭和30年頃に干拓事業により新たに陸地となったところです。 
宍道湖南側の円城寺傍のそば屋さんからめでるのが一番いいと言っていたらしいですが、
現在は嫁島卸団地の建物があり見通せなくなっています。 
県立美術館から見る夕陽を八雲はどう評価するのでしょうね。 

当時、八雲は刻々と変わる夕陽が湖面に映る様を以下のように表現しています。 
私の前には広々として美しい湖が、柔らかい光でにぶくかがやいて眠っている。
…くすんだ濃い紫の靄が幅広くたなびき、朦朧とかすむ紫が更(に中天(ちゅうてん)に
向かうあたりは薄く淡い朱やかすかな金色になり、それがまた仄(ほの)かにも淡い緑色)を経(へ)て、
青空の青さに溶けこむ。
/仄かに淡い夕暮れの色は五分ごとに変わっていく。
すべすべした玉虫色絹布(たまむしいろけんぷ)の色合(いろあ)いや陰影を思わせて色という色が
不思議なほどに目まぐるしく移り変わる。
(小泉八雲『神々の国の首都』より、森亮訳)