松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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あなたは花咲かじいさんから名にを学びますか?

2018年08月28日 13:52   松江/山陰バリアフリーツアーセンター
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ハダル@矢野です。今週に入りやっと猛暑美から逃れた松江市です。
さて、「花咲かじいさん」という昔話をご存知の方は多いと思いますが、このお話には、単なる昔話で正直者は成功するという事だけではありません。
そのお話はこうでした。
昔、正直者のおじいさんが犬を飼っていた。その犬が吠えたところを掘ると、大判小判がざくざく出てきた。
それを見た隣の性悪じいさんが犬を強引に借り、吠えたところを掘った。すると出てきたのはがらくたで、怒った性悪じいさんは犬を殴り殺してしまった。
悲しんだ正直じいさんが犬を手厚く葬ると、翌朝、その墓から大木が育っていた。正直じいさんはその木で臼と杵を作り、もちをついたら宝物が出てきた。
性悪じいさんはその臼と杵を強引に奪ってもちをついたら、出たのは石ころばかり。性悪じいさんはまたしても怒って、臼をたたき割り燃やしてしまった。
正直じいさんがその灰を持ち帰ると、風に舞って枯れ木に花が咲いた。そこで「枯れ木に花を咲かせましょう」と、通りかかった殿様の前で花を咲かせ、喜んだ殿様からほうびをもらった。
性悪じいさんもほうびをもらおうと灰をまいたが、花が咲かないどころか灰が殿様の目に入り、性悪じいさんは家来にボコボコに殴られた。
という話でした。
常識的に読めば「正直者には良い結果が起き、性悪だと悪い結果になる」という話に帰結してしまうのですが、それは表面的な見方に過ぎません。
貧しくなる人は「正直者は報いられるはず」という思い込みがあるため、正直に生きることが尊いと考えます。もちろんそれは間違っている訳ではありません。
もう少し深く読み取って見る事にします。
たとえば、「性悪じいさんは正直じいさんと同じことをしているのになぜ、ことごとく裏目に出るのか?」といった疑問です。
性悪じいさんが考えなかったのは、「ものごとの本質は何か」です。
「花咲かじいさん」の物語では、「正直じいさんが何をしたか」ではなく、「周囲は正直じいさんの何を評価しているのか」を想像することです。
性悪じいさんはそこを考えず、表面だけをマネしただけなのです。
たとえば飼い犬にさえ思いやりを持って接することは「情けは人のためならず」という教訓に落とし込めます。まずは先に与える人になろうというわけです。
「墓から木が生えた」と単に状況を傍観する追随者や傍観者で終わるのではなく、加工して道具に変えるという状況判断力があったからだと捉えることができます。
殿様からの褒美をもらおうとするのではなく、花を咲かせて喜んでもらおうという貢
献の姿勢が重要であるという教訓に落とし込むことができます。
そう考えればこの話は、「正直かどうか」という単純な話ではなくなります。
昔話もこんな風に考えればなんとまあ、疲れますね。